高知論叢107号

高知論叢107号 page 124/180

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51 高知論叢 第107号木戸幸一がこのように奉じた理由は、この日の御前会議において、天皇が開戦の決定を進んで裁可したことになってしまう事を憂慮したからであった。天皇が最後に天の声を発することによって、万一....

51 高知論叢 第107号木戸幸一がこのように奉じた理由は、この日の御前会議において、天皇が開戦の決定を進んで裁可したことになってしまう事を憂慮したからであった。天皇が最後に天の声を発することによって、万一、近い将来において戦争責任を問われた場合、開戦の全責任が直接「国体」に及ぶことが回避できると咄嗟に考えたからであった。一二時四〇分以降、侍従武官長と内大臣との懇談でこの筋書きはつくられたはずである。『昭和天皇独白録』では「御前会議前に近衛が五日の晩は一晩考へたらしく翌朝会議の前、木戸の処にやつて来て、私に平和で事を進める様諭して貰ひ度い」と天皇が述べたとされている。たしかに、「木戸日記」でも九月六日の御前会議の前に木戸は天皇に拝謁したと記されているが、近衛と天皇が会った記録はなく、近衛が「四方の海」の御製の件を天皇に奉じた事は考えられない。「四方の海」の件を天皇に提案したのは木戸幸一であり、その時期は『木戸幸一日記』にあるように御前会議の前ではなく後であった。『独白録』において天皇は「四方の海」御製の件は、近衛がそのように言っているとだけしか語らなかったが、近衛はこの一件について、戦後広報役を演じただけであった。九月六日の御前会議のシナリオの記録は、当日に書かれたと思われるものは『木戸日記』のみであり、同日の記録が記された『近衛文麿手記』、「上奏時御下問奉答綴」やその他将官の記録も爾後の記録や伝聞にすぎない。3.東京裁判被告尋問と『木戸幸一日記』東京裁判において木戸幸一への第二回以降の取り調べを担当した人物は、米国連邦検察局法務官ヘンリー・R・サケットであった。取調官は木戸幸一から日記の提供を受けたが、『木戸日記』に関連する取り調べは一九四一年一〇月一七日までの記述に関する質問で終わっている。東京裁判一九四六年三月八日の調書において、昭和一六年九月六日の御前会議について、木戸幸一は、サケット捜査官と次のような応答を行った。木戸は午前一〇時から単独で天皇に拝謁した。その時木戸は「この決定は国運を戦争に賭けることになるやも知れず重大な決定であるから、統帥部は外交工作の成功をもたらすべく全力をつくすべし」四二と奉じたと、『日記』の記