高知論叢107号

高知論叢107号 page 125/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究50当日の会議の模様を述べたものと解釈してきた。しかし、「奉ル」「旨奉ル」が誤字だとすれば、「承」と理解するのが一般的な解釈であろう。しかし、この重大な御....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究50当日の会議の模様を述べたものと解釈してきた。しかし、「奉ル」「旨奉ル」が誤字だとすれば、「承」と理解するのが一般的な解釈であろう。しかし、この重大な御前会議における天皇の発言を内大臣が単に「承ル」事は考えにくい。内大臣、特に木戸幸一はあくまで天皇に奉る立場である。『木戸日記』にも天皇に奉じた、進言するとした文章が多い。同日記において、内大臣が天皇のご意見をお聞きした場合は、「御承ル」と書いており、「承ル」だけの文字はない。木戸幸一のこの日の行動を日記から再現して整理しよう。木戸は御召により御前会議前の午前九時四〇分から午前九時五五分まで天皇に拝謁した。午前一〇時からの御前会議での天皇の発言について、「統帥部でも外交工作に全幅の協力をすべしとの意味の御警告をされることが最も可然」、と奉答した。従って、御前会議の前には、木戸は明治天皇御製の件は奉じなかった事が日記からも、後述する東京裁判の供述からも明らかである。その後の木戸幸一は、御前会議中の午前一〇時から警保局長から治安状況を聞き、その後侍従職会議に出席しており、午前中で終了した御前会議の内容を知らなかった。木戸が御前会議後に会議の模様を知ったのは、御前会議に出席していた侍従武官長と懇談した一二時四〇分が最初であった。侍従武官長との懇談によって御前会議の内容を聞いた木戸は、午後一時一〇分から一時三〇分迄拝謁して、御前会議における天皇の役割をどのようにすべきかを天皇と話したはずである。その時木戸は、すでに閉会した御前会議における天皇の言動について、日記の様な筋書きにされてはと天皇に奉じたのである。日記によると、木戸は「原議長ノ外交工作ヲ主トスルノ趣旨ナリヤ云々ノ質問ニ対シ 海軍大臣ヨリ答弁シ 統帥部ハ発言セザリシニ対シ 最後ニ御発言アリ 明治天皇ノ御製『四方ノ海』ノ御歌ヲ御引用ニ相成リ外交工作ニ全幅ノ協力ヲナスベキ旨仰セラレタル旨」ということにしようと、時間軸を遡って天皇に奉じた(進言した)のである。以上がこの日の木戸日記の正当な解釈である。木戸は御前会議席上における天皇の行動、発言をも助言する立場にあった人物であり、爾後において天皇から報告を聞くだけの立場ではなかった。