高知論叢107号

高知論叢107号 page 127/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究48御前兵将棋実施要領「謹ミテ海軍作戦計画ノ大要ニ付奏上致シマス第一段作戦ニ於ケル陸軍ト協同シテ行フ 南方要域ノ攻略作戦 参謀総長開戦十数日前内地ヲ進発致シ....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究48御前兵将棋実施要領「謹ミテ海軍作戦計画ノ大要ニ付奏上致シマス第一段作戦ニ於ケル陸軍ト協同シテ行フ 南方要域ノ攻略作戦 参謀総長開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ、日出一、二時間前『オアフ』島ノ北方約二一〇浬附近ニテ全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ碇泊中ノ航空母艦、戦艦並ニ所在航空機ヲ目標トシテ奇襲攻撃ヲ加フル計画デ御座イマス…米国海軍ハ現在艦艇ノ約四割ヲ大西洋ニ配置シテオリマシテ、日米開戦ノ場合ニモ独逸海軍ニ対スル防御ノ為若干ノ兵力ヲ発ス必要ガ御座イマスノデ決戦場ニ於ル彼我ノ兵力比ハ更ニ有利トナルモノト判断セラレマス…露国トノ間ニ開戦トナリマシタ場合ニハ主トシテ第五艦隊及内戦部隊ヲ以チマシテ先ズ守勢ヲ執リ専ラ本邦沿海ノ海上交通線ノ保護並ニ要地ノ防空ニ努メマス」四〇(四)『木戸幸一日記』の検討1.東京裁判提出証拠としての『木戸幸一日記』木戸幸一は一九四〇年から一九四五年に内大臣を務めた。憲法制定以降設置された内大臣の権限は時代とともに変容する。一九四〇年一一月に元老西園寺が死去したあと、木戸は天皇の側近ナンバーワンの存在となった。十数名から構成された内大臣府の役割は明治以来変化してきた。本来の内大臣の職務は天皇の補佐役であるが、木戸幸一の役割は、歴代の内大臣の中でも最も重要な役割を果たしたと言われており、首相指名さえも行った。内大臣は天皇に拝謁し、重要な政務への進言を行った。統帥事項さえも、天皇から求められて意見を述べた。内大臣は御前会議の構成メンバーではないが、侍従武官長、侍従長とともに、常に天皇の側近くにいる存在であり、御前会議での天皇の発言や振る舞いを進言する立場である。東京裁判では、本稿で示す自らの日記(『木戸幸一日記』)四一を証拠として提示した。本稿で問題とする同日記の箇所は、昭和十六年九月六日の日記であり、原本を資料一四に示した。以下は同日の日記を翻刻したものである。すでに知られている箇所であるが、傍線後段部分の意味について、従来、疑念を抱くものはいなかった。「昭和十六年九月六日(土)晴 午前九時半出勤 九時四十分ヨリ九時五十五分迄御召ニヨリ拝謁ス 本日ノ御前