高知論叢107号

高知論叢107号 page 143/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究32は昭和一七年八月参謀本部第二部長となり、終戦後には実質的に参謀本部の実務トップであった。終戦後には対連合軍陸軍連絡委員長(有末機関長)として終戦処理を....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究32は昭和一七年八月参謀本部第二部長となり、終戦後には実質的に参謀本部の実務トップであった。終戦後には対連合軍陸軍連絡委員長(有末機関長)として終戦処理を行い、開戦経過に関する資料をGHQに提供した。次が作成した極秘資料を精三がGHQに手渡した可能性が高い。いずれにしても有末次が挿入したことになっている「四方の海伝説」によって、昭和天皇の聖徳伝説は明治天皇に比肩するものであるとして語り継がれ、以後あたかも歴史的事実かのようになった。有末精三自身は戦後、以下の様に語っている。「未曽有の敗戦、幸か不幸かその渦中におかれ、今日まで生きのびてきたわたしの忘れることのできない数々の思い出、戦後處理の秘話については、後日、稿をあらためて別冊につづりたいと念願し、ここには割愛のやむなきことのご諒解を、お願いする次第である。」三〇と述べたが「戦後處理の秘話」なるものは語られることがなかった。昭和十六年九月六日の御前会議での発言について天皇は、自らこのように語ったとは言わず「近衛の手記に書いてある」と『独白録』で述べており、天皇は後日まで「四方の海」の物語が、表向きには近衛の作文としていた。しかし、昭和十六年九月六日の物語の発案者が、近衛文麿ではなく木戸幸一である事を、聡明な昭和天皇は承知していたはずである。以下は三つの書体ごとに「上奏時御下問奉答綴」の資料とその翻刻である。「上奏時御下問奉答綴」有末(次)筆記の一部翻刻九月六日  御前会議席上(帝國國策遂行要領ニ同ジ)筆書き挿入文原議長ノ質問ニ對シ及川海軍大臣ノ答辯アリ 其後オ上・私カラ事重大ダカラ両統帥部長ニ質問スル 先刻原カコンコン述ヘタノニ對シ両統帥部長ハ一言モ答弁シナカッタガドウカ 極メテ重大ナルコトナリシニ統帥部長ノ意志表示ナカリシハ自分ハ遺憾ニ思フ 私ハ毎日 明治天皇御製ノ 四方の海皆同胞と思ふ代に などあら波の立騒ぐらむ ヲ拝調シテ居ル ドウカ永野・全ク原議長ノ言ツタ趣旨ト同シ考ヘデアリマシテ御謹拝ノ時ニモ本文ニ二度此旨ヲ言ツテ居リマス 原議長カワカツタト言ハレマシタノデ改メテ申シ上ケマセンデシタ