高知論叢107号

高知論叢107号 page 145/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究30カ?」などという恫喝的な表現は他の「上奏時御下問奉答綴」には全くみられない。第二に、筆書きの箇所とペン書きの箇所では罫紙書式が異なる。筆書きの箇所のみ....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究30カ?」などという恫喝的な表現は他の「上奏時御下問奉答綴」には全くみられない。第二に、筆書きの箇所とペン書きの箇所では罫紙書式が異なる。筆書きの箇所のみが他の部分とは違い、半分に切った書式の陸軍罫紙に書かれている。第三に、後日刊行された「杉山メモ」では、東條首相の指示を受けた杉山元参謀総長の口述によって、有末次班長が同日の会議の模様を筆記したと記されている。「上奏時御下問奉答綴」の筆書き部分は後日挿入されたことが濃厚である。特に後日極東裁判でも問題となった九月六日の御前会議の資料は、廃棄された正本が別にあり、有末が書いた副本と後日差し替えられた可能性が強い。東條内閣が成立したのは昭和一六年一〇月一八日であり、この時期以後、翌年一月一九日有末次が転任するまでの間において、九月六日の御前会議の模様を含めて筆書きの部分が有末によって一気に記されたものであろう。「上奏時御下問奉答綴」のペン書き部分は参謀本部員(原四郎)が書いたと見られる同じ筆跡であるが、ペン書きの箇所は日によって筆跡が異なっている。同一人が書いた筆跡であるが、日毎に多少異なる筆跡であり、ペン書きの部分は本物の記録文書である事に間違いない。「上奏時御下問奉答綴」の大部分を占めるペン書きの部分における天皇の御下問時における発言は、鋭い質問ばかりであった。例えば「南部佛印進駐の予算はどのくらいか」という天皇の質問に対して、總理大臣は陸軍大臣と話し合うとしか答えられないお粗末さであった。天皇は毎週財政問題と行政法の講義を受講する事を日課としており、高官からの奏聞も多く、閣僚以上の情報を有していた可能性がある事が「上奏時御下問奉答綴」の応答からも窺える。資料二に示した有末大佐の署名入り注とは以下の文章である。「本手記ハ十一月二十九日連絡会議ノ終了後東條總理ヨリ杉山総長ニ對シ重臣会議ノ概要トシテ謹推セルトコロヲ杉山総長ヨリ口述セラレ特ニ筆記セラル如ク命セラレシタルモ将来ノ為特機中ノ特機トシテ責ニ任ジ手記ス 有末大佐 昭一六、一一、二九」二八とある。この部分が杉山総長の口述によって有末大佐が筆記したとされている。しかし、有末班長が加筆した部分は、筆跡、筆圧、濃淡、筆記具の均一性から見て、御下問当日ごとにそれぞれ筆記さ