高知論叢107号

高知論叢107号 page 146/180

電子ブックを開く

このページは 高知論叢107号 の電子ブックに掲載されている146ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
29 高知論叢 第107号した部分である。各日がペン書きであり同一人物の筆になるが、毎日の筆跡は原四郎の筆跡ではあるが、日ごとにばらつきがあり、この部分は後日清書したものではない。「機密戦争日誌」における原....

29 高知論叢 第107号した部分である。各日がペン書きであり同一人物の筆になるが、毎日の筆跡は原四郎の筆跡ではあるが、日ごとにばらつきがあり、この部分は後日清書したものではない。「機密戦争日誌」における原四郎の筆跡のように連続して清書されたものとは考えにくい。従って最も記録性が確かな箇所である。(資料三)第二に、昭和一六年一一月二九日(末尾注)に書かれたとされる、筆書きの部分である。この部分はペン書きをした原四郎の上司である有末次が、杉山総長の記憶に沿って口述筆記したとされる部分である。有末次大佐とは参謀本部第二〇班班長有末次である。第三に、一一月二日以降の上奏時のメモを、後日活字印刷された箇所である。(資料四「上奏時御下問奉答綴」の活字印字の部分)印刷された箇所において、海軍作戦日を八日とした活字が消され、筆書きで八日に修正されている。二か所とも誤って記載したとは考えにくいので、上奏時から一か月以上経過した一二月八日と修正された。日米開戦後に修正された可能性が高い。この部分は第二〇班に所属する下士官のタイピストが、原四郎等のメモにもとづいてタイプしたものである。彼らタイピストは「御前会議議事録」のタイプも行ったはずである。2.「上奏時御下問奉答綴」筆跡の検討以上の三つの部分の中で、開戦時の経過にとって重要な箇所は、毛筆書きの部分である九月六日の箇所である。GHQも追求した、開戦を決定した重要な部分、即ち「帝国国策要領」が御前会議で裁可された時の記録である。しかし、当日の会議の最後に木戸幸一は、天皇が会議の最後に「四方の海」の明治天皇御製を詠じたと証言した。ただし、この日の記述に関しては他の箇所と叙述が異なり、メモの書式も違っている。九月六日御前会議記録の筆書き箇所における他と異質な点は、第一に、上奏者がご下問に対して一言も発しえず、昭和天皇は明治天皇御製の「四方の海」の詩を詠じたという箇所の内容である。「上奏時御下問奉答綴」の他の箇所については、天皇の発言は一行で終わっており、参謀総長、軍令部総長は詳しく説明している。開戦を決定したこの重要な箇所のみにおいて長々と天皇が述べ、かつ「ドウ