高知論叢107号

高知論叢107号 page 148/180

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27 高知論叢 第107号「上奏時御下問奉答綴」には防衛省戦史資料室に所蔵されている他の資料と同様に、資料そのものへの批判を回避する為に、以下の注がすべての資料に附されている。「本紙裏の添付資料には戦史資料....

27 高知論叢 第107号「上奏時御下問奉答綴」には防衛省戦史資料室に所蔵されている他の資料と同様に、資料そのものへの批判を回避する為に、以下の注がすべての資料に附されている。「本紙裏の添付資料には戦史資料の入手経緯やその内容のほか、防衛研究所において当該戦史資料の保存の要否を判断する際の参考等として当該戦史資料に関する所見等が記載されたものがありますが、この所見等は記述者の個人的見識に基づいて記載されたものであり、防衛研究所としての見解ではありません。」同資料には、「戦争指導関係経歴表」として、以下のように資料の履歴が記されている。「一.本書は旧陸軍参謀本部第二〇班又は第一五課乃至軍務課で保管していたものである。第二〇班は昭和一五年一〇月第二課より独立して参謀本部直属の班として設置せられ、戦争指導に関する事務を担当した。昭和一七年二月第一部内の第一五課に改編、昭和一八年一〇月再び次長直属の第二〇班となる。昭和二〇年四月陸軍省部の二位一体制に伴い、第二〇班は陸軍省軍務課と二位一体となり、参謀本部における組織名称は第一二課となった。一.昭和二十年八月一四日、大東亜戦争終戦に方り、陸軍一般に書類消去の指令が出されたが軍務課庶務将校中根吾一少尉は高級課員山田成利大佐の許可を得て都下青梅線沿線の自宅に搬出し、『ドラム缶』に詰めて地下に隠匿した。昭和二十年末山田大佐の申し出により、元二〇班員で第一復員省(局)史実調査部(資料整理部)部員たる原四郎中佐が保管を継承して、都下某所に隠匿し、占領米軍の発見を免れるために表紙を焼却して左記分類の如く改装した。分類区分は、イ、昭和日記甲・機密戦争日記 ロ、昭和日記乙・大本営政府連絡会議議事録 ハ、昭和日記丙・重要国策決定綴、ニ、昭和日記特・御前会議(重要連絡会議を含む)ホ、その他の書類である。昭和二一年一二月服部四郎大佐を部長として正統戦争史の本格編纂を意図し、部員に堀場一雄大佐、原四郎中佐、橋本正勝中佐、が分割保管した。昭和三五年四月三〇日 服部氏が死亡した後、戦史室が保管した。原四郎記入 一等陸佐 防衛研究所戦史室編纂室」本資料の注記には「昭和三五年六月二二日 原四郎 防衛研修所戦史編纂官 一等陸佐 西浦進 防衛研修所戦史室長」とある。「機密戦争日誌」(「昭和日記」)は表紙を焼却