高知論叢107号

高知論叢107号 page 154/180

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21 高知論叢 第107号二.日米開戦前における御前会議の検討(一)参謀本部第二〇班「機密戦争日誌」(「昭和日  記」)の検討1.「機密戦争日誌」(「昭和日記」)と参謀本部第二〇班の由来「機密戦争日誌」二二....

21 高知論叢 第107号二.日米開戦前における御前会議の検討(一)参謀本部第二〇班「機密戦争日誌」(「昭和日  記」)の検討1.「機密戦争日誌」(「昭和日記」)と参謀本部第二〇班の由来「機密戦争日誌」二二は、戦後表紙だけを変えて綴じられたものとされてきた。「機密戦争日誌」は昭和一五年六月から昭和二〇年八月一日まで大本営陸軍部(参謀本部)第二〇班が作成したとされる業務日誌である。大本営陸軍部第二〇班の前身は昭和一二年戦争指導課に始まる。同課から独立して参謀本部次長直属の第二〇班となり、開戦に関する文書を作成した。刊行された業務日誌を清書した人物は、種村佐孝、原四郎、野尻徳雄、甲谷悦雄、橋本正勝であり、それぞれが一二月末日に署名している。「機密戦争日誌」は下段に(「昭和日記」)とカッコ書きされている。それは以下の理由がある。「機密戦争日誌」字体は当日の日誌原本ではなく、敗戦期に在籍した第二〇班将校によって「昭和日記」を参考にして、後日、日誌として清書されたものである。清書された「機密戦争日誌」の原本は「昭和日記」であった筈であり、彼らが主張するように、「昭和日記」の表紙のみを差し替えたとは考えにくい。「昭和日記」の原本に基づき「機密戦争日誌」が編集され、筆写されたものである。2.「機密戦争日誌」への疑問「機密戦争日誌」とは終戦後「昭和日記」にもとづいて清書されたものである。「機密戦争日誌」が一次史料と見なしえない理由は以下のような「機密戦争日誌」原本の書体にある。「機密戦争日誌」は一定の期間、特に年や区切りの時期毎に書き手が変わっている。特に開戦前に限定すれば、昭和十六年四月十八日より昭和十六年十二月七日まで巻三に関して全て同じ字体で書かれ(清書され)ている。昭和十六年十二月より十七年十二月巻四は二.三名の字体で書かれている。しかも、一年間に渉って同じ筆記用具で同様の筆圧によって一気に書き上げられていると断定できる。