高知論叢107号

高知論叢107号 page 163/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究12図三 奏上系統図(昭和初期)伝奏内奏 内々奏帷幄上奏上奏内奏 内々奏 伝奏内奏 内々奏統帥部聖上内大臣元老侍従武官長侍従長枢密院議長元帥首相大臣あると....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究12図三 奏上系統図(昭和初期)伝奏内奏 内々奏帷幄上奏上奏内奏 内々奏 伝奏内奏 内々奏統帥部聖上内大臣元老侍従武官長侍従長枢密院議長元帥首相大臣あるとする認識もあった事が記されている。但し、軍の見解と異なることは無論である。憲法上は輔弼たる国務大臣が上奏すべきであるが、実際は侍従武官等を通じて相当数の官吏が奏上していた。総理大臣は人事、国会、選挙、重要法案、大臣は担当職務、軍は侍従武官を経由する事が多かったが、恒例検閲として人事考課に関しても必ず奏上された。特に開戦以降には統帥部から毎日戦況の報告が奏上された。その他、特に許された一般の官吏から奏上する姿が『侍従武官長奈良武次日記』に記されている。以下に奏上系統図と同日記に記された職務別親裁事項数を集計した。2.昭和天皇への拝謁と国務上奏拝謁を賜ることは、国家への求心力を高める重要な儀式であり、外交に関しては相手国への最大の敬意であった。官僚が天皇への拝謁を賜る機会は、文官に比して武官がはるかに多かった。天皇への拝謁日は一週間の中で決まっていたが、不定期な拝謁は毎日のように行われた。侍従武官長などの側近はほぼ毎日拝謁した。高官への拝謁は奏上に至る場合があった。定例の拝謁日には、宮城御殿や広場で数百人、数千人に対する拝謁もあった。目的別に拝謁を分類すると、文武官の異動、外国大使や元首、将官への激励など形式的なものと、少数の高官によ