高知論叢107号

高知論叢107号 page 165/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究10縄 シナ厦門 南東方面五か所 南西方面七か所 戦果ナシ 撃破一」という戦況表が天皇に奏上された。戦局が困難な状況が続いても統帥部から毎日奏上されていた。以....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究10縄 シナ厦門 南東方面五か所 南西方面七か所 戦果ナシ 撃破一」という戦況表が天皇に奏上された。戦局が困難な状況が続いても統帥部から毎日奏上されていた。以下は戦況がすでに絶望的になっていた昭和一九年一〇月の海軍による戦況説明資料である。戦況報告とする奏上が連日行われた。昭和一九年一〇月三一日の事例では一〇数ページの報告書、別表四、五頁の分量がある。添付された別表にはアジア太平洋全戦況の報告が仔細に記されている。戦況区分は大きく三区分され、一.中部太平洋、二.東南方面 三.南西方面についてそれぞれ戦闘日時、敵兵力、敵被害、撃墜、撃破、被弾、敵戦死傷者数が逐次奏上された。昭和一九年以降、マニラの戦況は日本側の一方的な敗北であった筈であるが、同日の海軍統帥部による奏上書では、マニラと同基地に対して総数二二五機来襲した中で撃墜とほぼ同数の未還機であり「被害軽微」と奏上した。「昭和十九年十月三十日 戦況ニ関シ御説明資料 昨二十日〇七四五ヨリ一五一五迄「マニラ」地区ニ対シ三次ニ亘敵戦場機延約七〇機来襲主トシテ飛行場及泊船舶ヲ攻撃セリ クラーク地区一五五機来襲 撃墜 F六F二五機 SBD二機 不確実F六F八機 TBF三機 我方自爆未帰還合計二十一機 紫電炎上一機 飛行場被害ハ軽微ノ模様ナリ」「マニラ沖海戦 空母四隻その他一〇数隻と交戦 特攻隊爆撃機三機 彗星二機 その他四機 クラークを爆撃 戦果 大型空母一 彗星一 戦型不詳二炎上中 巡洋船一炎上中 二四日母船飛行機隊ノ挙ゲタル総合戦果 正規空母一隻確実に撃沈 空母一隻 大破 我方被害未詳ニ点アルモ約一三機 誘致戦中各船撃墜機数 沈没船ノ分ヲ含マズ 合計一三七機 重複セル算アリ」戦況が悪くなり、起死回生の突撃隊を編制した当初の奏上は、この時期においては最も意気揚々たる奏上書であった。神風特別攻撃隊の初出撃は一九四四年一〇月二一日であり、戦果をあげたとして大本営は大々的に発表して、敷島隊指揮官は軍神として祀られた。軍令部総長及川古志郎からの「戦況ニ関シ奏上一〇月三一日」では「スルアン島方面ノ敵機動部隊ヲ攻撃致スベク、十三時三十分「セブ」ヲ発進致シマシタ神風特攻隊爆機六機、直掩 五機ハ、十四時三十分スルアン島ノ南南東四十浬ニ於キマシテ、空