高知論叢107号

高知論叢107号 page 168/180

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7 高知論叢 第107号防衛省戦史資料室に残る資料に見る限り、日露戦数年後の平時には、恒例検閲による奏上がより簡略となっている。明治四三年一一月二七日における呉鎮守府司令長官加藤友三郎による奏上書には「明....

7 高知論叢 第107号防衛省戦史資料室に残る資料に見る限り、日露戦数年後の平時には、恒例検閲による奏上がより簡略となっている。明治四三年一一月二七日における呉鎮守府司令長官加藤友三郎による奏上書には「明治四三年一一月ヨリ本年四マ四マ年一〇月ニ至ル間ニ於ケル官下状況ノ概要ヲ具シ謹ミテ叡覧ニ供シ奉ル 明治四三年一一月二七日」として八枚の報告書であった。(二)昭和天皇への帷幄上奏例1.帷幄上奏書式の例大正期において機能不全化した親裁体制は、昭和天皇の登場によって恢復した。若くして帝王学を授けられた昭和天皇による親裁体制は、伝説化していた明治天皇を上回る確固とした官僚制度によって支えられた。行幸時において小樽丸  三河丸 ハイラル号注)L:全長 B:最大幅 D:喫水(水面から海底) 四、五、一〇、一三は明治四二年中に撤去、それ以外の引き揚げ船の位置を奏上 表に未記載の沈没船が朝顔丸他一隻、表には記載があるが図にない船舶は一二、六、七、一一、一二、以上六隻 明治三九年九月「海軍省状況報告」図一 旅順口外現在沈没船位置図(海軍が奏上した旅順口閉塞図)  引揚沈没船一覧:原型を留めない全一四隻の一部図二 海底沈没船図