高知論叢107号

高知論叢107号 page 172/180

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3 高知論叢 第107号れられてきた。極東軍事裁判に提出された、親裁に関する証拠書類は本当に一次資料であったのか、今なお疑問点が多く残されている。作為が行われたとしたら、だれがどのような目的で行ったのか、その背景には何があったのであろうか。本稿は現存する帷幄上奏史料や高官による日記、御前会議記録を再検討して、天皇親裁の実態を書誌的に明らかにしようとするものである。一.帷幄上奏の書誌的検討(一)明治天皇への帷幄上奏例1.帷幄上奏と特命検閲かつての日本は統帥部からの帷幄上奏とその裁可が、国家にとって重要な意味を持った統帥事項であった。換言すれば、軍令が国家にとって最重要事項として位置づけられていた。ところが、第二次大戦後の戦後処理において、統帥権の行使が軍の一部による暴挙とされる理解が一般的になった。帷幄上奏の議題と内容を列挙すれば、重要国策の決定、作戦計画、軍隊派遣、兵力動員出動、大演習実施、軍諸達・規則、軍隊の編成、軍事費、師団配置決定、特命検閲、将校の人事・職務、軍令等に関する上奏、裁可であった。以上のことは軍令だけではなく、軍制、軍政にまでも統帥権の範囲を拡大したものであった。統帥大権とは、軍が統帥者に裁可を求めるべき義務があり、同時に文官が関与できない武官の聖域であった。しかし、統帥大権が参謀本部の独立を惹起したとはいえ、内閣総理大臣の中でも武官出身者や非政党出身の実力者が統帥事項にも関わってきた例は多く、統帥事項の運用は変化してきた。また、天皇への上奏は輔弼が行うことと理解されているが、統帥事項を含めて上奏者の範囲は拡大し、次節に示した様に、昭和天皇の時代には文武官の多くが上奏するようになった。帷幄上奏の起案者は厳密には統帥部(陸軍参謀総長・海軍軍令部長)であったが、明治、大正、昭和と時代を下るにつれて、侍従武官長を通じた内奏、伝奏を含む、多くの軍関係者が帷幄上奏を行った。列挙すれば、軍事参事官、陸海軍大臣、侍従武官、陸海軍内局の局長・出先機関の部