高知論叢107号

高知論叢107号 page 173/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究2い漢語を用いることによって、自らに権威を持たせようとした。維新政府の武官によって使用された帷い幄あく上じょう奏そうという語がその例である。明治以降、屡....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究2い漢語を用いることによって、自らに権威を持たせようとした。維新政府の武官によって使用された帷い幄あく上じょう奏そうという語がその例である。明治以降、屡々用いられてきた帷幄上奏とは、帷幄機関である統帥部が、軍令に関する事項を君主に対して上奏することを意味する。帷幄とは帷をめぐらせた場所を指す故事に由来する二。維新以来の武官によって、軍が行う軍令事項をそのように称したことから、公文書にも記載され、一般にも知られるところとなった。武官は意図的に難解な漢語を用いる事によって、文官や政党が関与できない武官の権威を聖域化する事に成功した。御前会議の決定は国家の最高意志を決定するものであった。しかし、極東軍事裁判の前に、その記録が秘匿されてきたため実態は判然とせず、特に開戦前の議事が不明になった。極東軍事裁判後、天皇は帷幄上奏に対して統帥部の意に従ってそのまま裁可し、親裁は全く形式的なものだとされてきた。果たしてそれは真実であろうか。御前会議には、広義と狭義がある。その定義は曖昧であり、親臨が定められていた枢密院会議、大本営会議、大本営政府連絡会議なども一様に御前会議である。本稿の対象とする御前会議は第三次近衛内閣における、昭和十六年九月六日に開かれた第六回御前会議である。この御前会議において日米開戦が不可避となる「帝国国策遂行要領」が決定された。東條内閣成立後の十月に入って、「帝国国策遂行要領」は再討議に附されたが、御前会議での決定事項は覆るはずはなかった。御前会議において天皇はよほどのことがなければ発言されないものとされてきたが、それは事実ではない。明治天皇以降、御前会議では天皇が発言してきたことが伝えられている。天皇の発言が少ないと言われてきた理由は、文武官によって、御前会議前に奏聞、上奏、御下問を積み重ねて議案が練られ、そのうえで「天気」を伺って議事が提出されるからである。ところでこの御前会議における「天の声」には、後世において言霊が宿るが如き伝説がつくられた。昭和十六年九月六日の御前会議において、天皇が平和を希求し、異例の天の声を発した事について三、今日まで書誌的な検討がなされず、そのまま高官の手記等が歴史的真実として受け入