高知論叢107号

高知論叢107号 page 77/180

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共同漁業権論争の現在的地平75該当頁を表す)40。(a)徳川時代の漁業制度すでにこの時代において,沿岸網漁業や釣り漁業等,代表的な漁業の形態がほぼ出揃っていた。漁業経営は,一村専用漁場(沿岸村の支配権とし....

共同漁業権論争の現在的地平75該当頁を表す)40。(a)徳川時代の漁業制度すでにこの時代において,沿岸網漁業や釣り漁業等,代表的な漁業の形態がほぼ出揃っていた。漁業経営は,一村専用漁場(沿岸村の支配権としての一村限りまたは数村限りの地先海面漁業制)または入会漁場に入り合って,各戸ごとに小漁船といくつかの小漁具をもち,小漁業を営む,家族経営的な漁業が一般的であった。ただし,特定の地方では,大規模漁業が発達していた。(14,15頁)漁場の秩序は,「山野海川入会」(簡保元年の律令要略に記載されている)等の諸原則によって律せられ,以後「慣行」として法律上の意味をもつようになる。すなわち,「村並之猟場は,村境を沖え見通,猟場之境たり」,「磯漁は地附根附次第也,沖は入会」とされた。(15頁)「磯魚」については浦税その他集落が負担する貢租を,「沖魚」については漁獲物を基準にした運上金や冥加金を,それぞれ領主に納入することによって沖漁や磯漁を行う権利が保障された。なお「山野海川入会」における沖漁と磯漁は,明治漁業法における沖合の漁業ないし許可漁業と沿岸における漁業権制度の区別の淵源をなしている。(17頁)(b)明治初期の漁業制度明治政府は,当初,江戸時代の漁場使用関係を解消しようとし,漁場の使用を廃し,すべて官有にしようとした。すなわち,明治8(1875)年の雑税廃止と海面官有宣言が,これである。同年2 月の太政官布告によって,雑税を廃止し,同年12月の太政官布告「捕魚採藻ノ為海面所有ノ件」(借区制布告)によって海面はすべて官有であるとし,漁場を利用しようとする者はあらたに出願しなければならないとするものであった(21頁)。しかし,翌明治9(1876)年には,前記太政官布告を改正することになる。「なるべく従来の慣習に従い」という布告の文言に表れるように,この改正は実質的に江戸末期の漁業制度を承継するものであった。(22頁)40 ほかに出村雅晴「漁業権の成立過程と漁協の役割」調査と情報2005. 3 . 号4 頁以下(2005年),青塚繁志『漁協役職員のための漁業権制度入門』(漁協経営センター出版部,2004年)等を参考にした。