高知論叢108号

高知論叢108号 page 68/136

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66 高知論叢 第108号る。この場合,裁判所による実体判断の禁止は3)の理由づけには及ぶかもしれないが,そもそも行政が誠実に,1),2),3)の論証スタイルを遵守しているか否かは,形式の問題として十分審査....

66 高知論叢 第108号る。この場合,裁判所による実体判断の禁止は3)の理由づけには及ぶかもしれないが,そもそも行政が誠実に,1),2),3)の論証スタイルを遵守しているか否かは,形式の問題として十分審査事項となる。第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決はこの形式の欠如に調査欠落を見出した,と捉えることができよう。このように考えた場合,第一,第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決では,司法審査のあり方に違いがある。ヘンぺル・オッペンハイムモデルの遵守までの追試が第一で,その先の論証を求めたのが第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決である。しかしながら,どちらも共に広い意味での論証形式の欠落をみているという点で,実体判断代置をしているとはいえない。特に第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決が示唆した道は,行政のリスク調査を厳格化したものとして理解でき,これによりリスク評価,すなわち価値判断に踏み込むことなしに,行政による恣意的な決定をある一定程度チェックできる審査である,と評価できる。5.もんじゅ判決における過誤欠落問題原子力の安全性に関する司法審査基準として,わが国で引用されるのは伊方原発最高裁判決である。そこで最高裁は司法審査の観点を行政判断の不合理性に求めるが,この不合理性の認定は安全審査基準が不合理であった場合,あるいは基準の運用に不合理があった場合,すなわち運用の判断過程において看過し難い過誤,欠落があった場合に認められる,とした。しかし,これを巡っては学説では解説が分かれ,司法実務でももんじゅ裁判を巡って混乱した判決がみられた。この点につき,上述してきた筆者の視点からみると,最高裁がいう「不合理な点」という審査基準はドイツにおけるザスバッハ判決の「もっともらしさ」基準と同様に漠然としすぎて基準とはなりえないこと,「過誤,欠落」が論証スタイルとの関係で考えられていないことに問題がある,ようにみえる。そこで,これを明らかにするために,以下ではもんじゅ差戻後控訴審判決,特に「2次冷却材漏えい事故対策」を巡る争点を題材に検討することにしたい51。51 判例時報1818号3 頁。本稿が参考にした判例評釈として,高木・前掲注(1)『行政訴訟論』359頁以下,首藤重幸「もんじゅ原発行政訴訟控訴審判決」法学教室271号(2003)