109号

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いわゆる「高知白バイ事件」の再審請求について11という感覚もあながち不自然ではないようにも思われる。結局,本件の事実認定については,X側に有利な証言があるにも関わらず,これらがことごとく,「客観的」証拠....

いわゆる「高知白バイ事件」の再審請求について11という感覚もあながち不自然ではないようにも思われる。結局,本件の事実認定については,X側に有利な証言があるにも関わらず,これらがことごとく,「客観的」証拠たるブレーキ痕,路面擦過痕に加えて,警察官証言によって退けられているといえようか26。そして,Xの過失について,「右から左に向かう車線を塞ぐように路上に進出するのであるから,その際には左方からの交通はもちろんのこと,右方からの交通の安全確認にも十分な注意を払うべきであり,かつ被告人運転車両の見通し状況及び双方の速度からすれば,路上への進出を開始し中央線に向けて進行する間に,接近してくる被害者運転車両を発見し,自車を制動することは十分に可能であったと認められる」27と結論付けているのであるが,これまで確認してきた事実の疑問点によっては,むしろ回避可能性が無かった,あるいは注意義務違反はなかったとの帰結も成り立つこととなろう。最後に,量刑の理由について,確定判決は一方で「本件事故現場は中央分離帯の樹木によって見通し距離が制限されていたという双方に不運な事情があったこと」といった事由を認めつつも,他方で「単なる記憶違いや思い違いとは言い難い独自の弁解に固執し,これに沿わない証拠はねつ造されたものであるなどと主張して,本件における自らの責任を否定しているのであって,過失によるものとはいえ,自己の行為によって人を死に至らしめたことに対する真摯な反省の情を示すところがない」として実刑を言い渡している。この点も,交通事犯の事実認定の困難さ,特に加害者とされるものの認識や事実と異なるこ26 宗岡嗣郎「餅を描く判事  遠藤国賠事件に即して  」『久留米大学法学』42号99頁は被告人が運転していたトラックによる轢過として業務上過失致死に問われた,いわゆる遠藤事件の有罪を認定した第一審及び控訴審判決について,「刑事一・二審判決が『みている』のは,事件『全体』を構成する『部分』であり,事件の現実から『取りだされた』もの『加工された』ものとして,文字どおりの『検体』でしかない。検体は鑑定の対象であって審判の対象ではない。審判の対象は事件の『現実』である。そして,裁判官は,この『部分』と事件『全体』の事実関係とのかかわりにおいてのみ事件の現実を解釈することができる。解釈者は,事件全体とのかかわりで部分的事実をみつめ,部分的事実の解明をつみあげて事件全体をみつめるのである。刑事一・二審判決の事実認定には,この解釈構造,つまり事件全体と部分的事実の間を循環し相互にフィードバックする『視線の往復』が欠落していたのである」として「視線の往復」を強調するが,この理は本件の証拠関係においても重要と思われる。27 前掲注(10)17頁以下。