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80 高知論叢 第109号建設計画を審議するとともに募金運動が取り組まれた。その結果集まった組織的な募金は 32,089,348円,個別募金 29,970,962円15銭,興行開催,バッチ販売,県預金利息 944,689円であり,個人募金....

80 高知論叢 第109号建設計画を審議するとともに募金運動が取り組まれた。その結果集まった組織的な募金は 32,089,348円,個別募金 29,970,962円15銭,興行開催,バッチ販売,県預金利息 944,689円であり,個人募金やバッチ収入は銭単位に至るまでの大衆募金で取り組まれたが目標には半分届かなかった。不足額の大半は県歳費とし,その後の起債,宝くじ収入も投じられた。高知大学開設後における昭和31(1956)年までに大学に支出した地元負担額は 101,663,987円,不足額は 9,700,000円として残された。建設経費として各学部に配分された比率は,農学部が最も多く67.6%,教育学部4.9%,文理学部14.5%,大学本部13%であり地元負担比率は54.9%であった。農学部設置のために経費が多かった要因は,新設大学の母体とするものが旧制高校,師範学校,青年学校として存在し,文理,教育学部の建物はあったが農学部の母体はなかった。しかるに高知県は農林水産振興のために必要として設置が熱望され,予算も優先的に配分された。また,文理,教育学部の教員定員が農学部に20%を拠出する事が決まった。高知高校,師範学校,青年師範学校の教員は,文部省の審査を経て,文理学部,教育学部,農学部に配属された。文理学部に所属した教員は旧制高知高校在職者であり,他学校出身者は主に文理学部以外に配属された。農学部の設置は地元の要請があり,初代高知大学長には京都大学農学部教授苫名孝太郎氏が選任された。苫野学長は各学部から教員定員の2 割拠出と設置経費を要求するという課題を担い,初期の農学部を立ち上げた。苫野学長に続く2 代目学長には,前旧制高知高校長・高知大学文理学部長である阿部孝氏が選出された2。農学部農業経営学が専門の3 代目久保佐土美学長を除き,文理学部を事実上の母体とする学長が1999年まで続いた。第4 代高知大学長は山岡亮一氏(京大経済学部長)であり,高知大学経済学会創立時の学長であった。山岡学長擁立は旧制高知高校出身の西沢弘順氏,関2 阿部孝(1895年-1984年)高知高校校長(英文学)阿部孝学部長は第2 代高知大学長となった。英文学者,旧制岩手県立盛岡中学校。宮沢賢治と同窓で中学時代には親交を結び,宮沢賢治には親友阿部孝を詠んだ歌がある。阿部孝氏は宮沢賢治の書簡や原稿を多数所蔵していたと伝えられている。