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82 高知論叢 第109号中国を対象とした経済分析に関する多くの論稿を数多く書いている5。復員後の上村鎮威先生は資本論の恐慌論に関する数理的研究を精力的に行った。上村鎮威先生は文理学部の社会科学部門をただ一....

82 高知論叢 第109号中国を対象とした経済分析に関する多くの論稿を数多く書いている5。復員後の上村鎮威先生は資本論の恐慌論に関する数理的研究を精力的に行った。上村鎮威先生は文理学部の社会科学部門をただ一人で立ち上げ,社会科学分野を作り上げた教授であった。高知大学開学4 年後の1953年に任用された教員が文理学部時代では最も多く,経済学,松井栄一氏,西沢弘順氏,法学は楠正純氏であり,この時代の教員が社会科学分野の研究教育を担ってきた。1950年代に任用された教員は,経済学では,上村鎮威,関田英里,松井栄一,西沢弘順の4 名,法学は島崎鋭次郎,中田徳治,楠正純,竹内一雄の各氏である。(敬称略)上村鎮威教授に関して昭和28(1953)年に着任した松井栄一教授が以下の様に『高知論叢』第34号(1989年3 月)述懐している。「高知大学に来てからの思い出となると,やっぱり着任した当時の上村鎮威さんのことが思い出されますね。その頃は,まだ助教授だったんです。まだ若くてね。健康を害されていて,結核でしたがね。非常に頭の鋭い人でした。彼が僕の指導教授の岸本先生(京大名誉教授・岸本栄太郎)と友達だというので,僕は高知に来たんです。当時かれはマルクスの『資本論』を数式化する努力をしていました。当時そういうことをやっている人はごく少数で,5 本の指もなかったと思いますね。だから長生きされていればおもしろい仕事をされたんではないかと,かねがね思っています。」松井榮一名誉教授は文理学部時代の上村教授以外の同僚についても以下の様に述懐している。「着任当時の同僚・先輩ということでは,西沢弘順さんですかね。彼とはお酒を飲みに行った記憶しかないけどね(笑い)。僕が1952年(1953年の誤り)5 月に赴任してきて,あくる年,53年4 月に西沢さんが赴任してきたんですかね。まだ若いのに高知県経営者協会の事務局長などをやっていてやはり優秀だったんですね。それから結核の療養をして,それを終えてきたんです。」(岩田)「関田英里先生は,先生よりも前に着任されていますね。5 上村教授は第2 次大戦前は東亜研究所の研究員であり中国を対象とした経済分析に関する多くの論説を書いている。「北中支鑛業開發の現状」東亞研究所 1939年 丙第44號D「山西省臨汾縣一農村の基本的諸關係」東亞研究所 1941年『新経済学全集』第3巻「経済学特殊理論下 資本主義経済理論」日本評論社1931年