109号

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高知大学経済学会前史稿83 そうです。僕が来る2 年前ですね,関田さんが着任されたのは,関田さんには公私にわたっていろいろお世話になりましたよ」「なにしろ僕が来たときには経済学をやっている人はたった3 人だ....

高知大学経済学会前史稿83 そうです。僕が来る2 年前ですね,関田さんが着任されたのは,関田さんには公私にわたっていろいろお世話になりましたよ」「なにしろ僕が来たときには経済学をやっている人はたった3 人だったんですからね。上村さんと関田さんと僕の3 人,それから西沢さんが来て4 人になったんです。」(岩田)「法学関係の方はどうだったんですか?法学では中田徳治さんとか岩井万亀さんですかね。中田さんは学生にはたいへん愛された人でした。今でも当時の学生が同窓会を開くという時には必ず中田さんを呼ぶんじゃないですかね6。」1949年高知大学開校時における法学の教員は島崎鋭次郎氏(在職期間1949-1953),中田徳治氏(1949-1967)であり,経済学の教員より法学の教員の実員が多い時期もあった。憲法を専門とする楠正純氏(1953-1978)が経済学会創設以降まで最も長期に在職した。学生定員は1949年~53年まで15名,1954年~67年まで30名,1968年以降80名になった。昭和33(1958)年以降全国14大学の文理学部改組問題が俎上にのぼった。文部省は文理学部改組案については教養学部化を示したが,このころは学部の意向が強く反映して学部はこれを退けた。また,文理第1 次改組案の中には法学,経済学を対等にした法経学科案もあった7。文理学部第1 次改組によって理学部が独立し,文理学部は経済学科と文学科に分かれた。これ以降経済学を専門とする教員が増加し,その機運の中で経済学会が設立され,1971年から1989年まで経済学を専門とする教員(山岡亮一,西沢弘順,関田英里)が3 期連続して学長に就任した。2.文理学部改組と経済学科(1)経済学科の設置と経済学会創設学会開設直後(1972年時)の正会員11名と各々の専門講義課目を以下に示した。関田英里(日本経済史)松井栄一(社会政策)西沢弘順(近代経済学)藤井6 『高知論叢』第34号「松井榮一先生に聞く」(1988年12月17日)岩田裕・上瀧真生『高知論叢』第34号松井榮一教授退官記念号1989年3 月283頁~285頁7 『高知大学三十年史』昭和57(1982)年9 月30日 90頁