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110号

96高知論叢第110号来歴では君主と統帥権思想史を明らかにしている。第5章武官人事大権と天皇,第6章帷幄上奏システムと親裁,第7章開戦前御前会議と親裁,では,統帥権者としての天皇像を資料に基づいて解明している。第二次大戦後の極東国際軍事裁判以降,天皇には戦争責任はなく,明治憲法に基づく統帥権者としての天皇は軍の操り人形であったという見方が,GHQ,日本政府,国民世論の常識であった。このような見解に対して,本書では歴史資料に基づいて統帥権者としての天皇の仕事を明らかにしている。本書は天皇への戦争責任をのみ解明する事に意図があるのではなく,曖昧な柔構造の国体そのものの意味,多面的で複雑な日本の国体そのものの存在と戦争責任に接近しようとした事が本書刊行の意義である。3.本書における著者の論点本書において著者が主張した事を述べよう。第1に,親裁に実質が伴っていた事である。天皇は単なる御輿でなく,メディアを含む輿論等を常に考慮していた。ただし,文武官が親裁を取り仕切ってきた。憲法制定以降,日本の親裁体制は「立憲君主制」と併存する事で政体が維持され,文武官,各部局の対立は,天皇の裁断によって調整されてきた。旧憲法下の天皇は統治権を総攬して親裁を行ってきたという事実が,かつては何人も否定する者はいないこの国の前提であったが,第2次大戦後はそのことは官吏専横を糊塗するための架空の物語であるとされた。しかし,実際は,親政,親祭,親征を行うために官吏は親裁というシステムを作り上げてきた。第2に,昭和戦前期における天皇在位期間の大半は戦時・準戦時体制下であったが,その時期如何に拘わらず国家元首が統帥権を有した。明治2年の太政官職制以降,機務事項は直接天皇に上奏し,太政官を通さない慣例があった。武官登用制度はすでに維新直後から整備されていた。また武官任用試験制度は文官任用試験制度より10年以上早く成立していた。武官官吏等級表が文官官吏等級表から分かれて,明治5年から明治6年にかけて独自の等級表となった。武官の勅任官,奏任官の数が文官に比べて圧倒的に多く,予算額でも,幹部人