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110号

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110号

田村安興著『天皇と官吏の時代1868~1945』を読んで97員数でも貧弱な他省の関与を,軍は排除する力を有した。陸海軍(卿/大臣)の長は他の省(卿/大臣)と同格とは言えず,しかも,内閣総理大臣は国務大臣と同格であった。憲法制定以降の内閣官制において,軍令は内閣総理大臣の副署も不要となった。その結果,内閣の中で軍が聖域化,独立する事は必然的な帰結であった。軍高官は徴兵令制定以降,大量に動員される軍人の指導者であり,しかも命をかけて国家を護持する軍高官は戦争の度に称賛され,叙勲によって戦死しても名誉を得た。軍高官は,政争や汚職を行う文官高官とは比較にならず,大衆から支持される特殊公務員であった。天皇は陸軍の進言により,明治初年から,宮中内外において常に軍服を着用し,陸海軍武官官吏等級表最上位の大元帥であった。親王も大元帥に次ぐ地位であった。従って,同じ親任官,勅任官と雖も文官と武官とは格差があると見られていた。大元帥の階級は軍官等表において明治4年兵部省官等表と5年海軍省官等表に記されている。明治4年以降も大元帥は天皇の称号であった。帷幄上奏からその裁可にいたる判断には,経済,外交,内政に関して総合的な知見が必要である。武官による帷幄上奏は,陸海軍の将官による合議を積み重ねた総意が上奏されることが常であったが,文武官の決定的な対立は聖断によって解決した。無論,親臨による御前会議は上奏,裁可を積み重ねた国家の最高意思決定機関であることは,維新以来変わる事がなかった。統帥権の独立と帷幄上奏は日本を戦争に導いた戦犯に等しい扱いがなされてきた。しかし,色眼鏡をかけず国防と軍の命令系統を検証すると,帷幄上奏と裁可,裁断,聖裁は,宮中の伝統的な儀式の形式に則った一種の日本的な儀式でもあった。第3に,一九四五年までの日本は,高官にのみ上奏の権限がある限定的な「立憲君主制」であったが,あくまで御前会議が最高国家意思決定の場であった。議会が有力な勢力となる時は大正・昭和の一時期にあったが,その時においても国家権力は君主と官僚の側にあった。ただし,君主の統治権を官吏が侵害するものではなく,官吏はあくまで政治的,経済的に中立であり,公のための公僕であった。つまり,日本の政体は非常によく発達した官吏が担っていた。