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110号

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概要

110号

102高知論叢第110号(新潮社1948年)によって世に知られました。木村久夫は学徒兵として出陣し,処刑される前に反戦を訴えた遺書を書きましたが,これをかつての師であった塩尻公明教授が出版しました。1949年新制高知大学開学時において塩尻教授の後任として社会科学分野のしげたけ教員として迎えられた先生は上村鎮威助教授(在職期間1949年-1963年)でした。上村教授は第2次大戦前,重要な国策機関であった東亜研究所の研究員であり,中国を対象とした経済分析に関する多くの論稿を書かかれています。東亜研究所は中国農村経済を満鉄調査部と一緒に行っています。私も東亜研究所が昭和初期に調査を行った天津市や北京市郊外の農村を過去と比較しようと思って1980年代末に留学生と一緒に農村に調査に行きました。旧制高校からの先生がすべて綺羅星のような研究者だったと言われる人がいますが,私は高知大学が誇るべき人文科学の研究者は3代目の文理学部長青木富太郎教授だったと思います。中国史の授業をされていましたが,戦時中は東亜研究所の研究員で,経済学の上村先生の元同僚でした。マルコポーロの研究者としての青木先生の業績は改めて述べるまでもなくすごいのですが,図書館青木文庫に所蔵されている膨大な満蒙調査ノートを見て驚愕しました。我々に講義されていた内容が緻密に書かれていました。高知大学に帰ってきた自分は青木先生の後ろ姿をいつもみていました。中川高知大学の改革についてのご意見は?田村大学のあり方についての意見は100人100様あるけれど,理系だけに身を置いている人は文系がわからず,文系は理系がわからない。理系でも非実験系の数学などからは実験系が理解できないし,巨額の研究費獲得が当たり前の分野からは他の分野を見下す。お金の獲得如何によって評価されるようになりました。自分も評価本部委員でしたからその責任の一端はありましたが,今,高知大学で最も高い評価ポイントは会社設立で,その次が特許獲得です。それらを目指さない研究者は研究者ではないという風潮になりました。お金を獲得しないと研究をしていない,したがって研究者ではないという事です。それができる分野を強化し,できない分野をスクラップする,それが明確で