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106高知論叢第110号今後は内外の優秀な学生にターゲットを絞るための入試改革,教育改革をする必要があると思います。英語での授業の拡大,そのことが教育改革の軸になる必要があります。いずれにしても現在の様な教員も学生も横並びの競争条件では地方国立大学の停滞は打破できず,文科省の国立大学管理からの脱却が不可欠だと思います。中川学生時代の思い出をお聞きしたいと思います。田村学生時代の自分はどちらかと言えば体育会系で,朝から夜遅くまで毎日,一番長い時間を使ったのはサッカーでした。しかし,いちばん苦い思い出は1970年秋からの学生運動でした。このことには高知大学30年史で最も紙幅をさいているほど深刻な問題でした。教育学部棟と学生会館が完全に破壊され大学で授業も試験もできなかったのですから。なにしろ高校時代の同級生が何人もいまだに行方不明の人がいます。山岡亮一学長はこの問題が京大で生じたときの学生部長でしたからその対応は適切だったと多くの先生方からお聞きしました。先生方の間にもこの問題がその後も長い間跡を引いていたと感じています。自分は哲学をやりたいと思ってドイツ語を専攻しましたが,大学の授業は違っていて興味を失い経済学科に転学科しました。ただし当時の高知大学では社会科学は『資本論』ただ1書読めば理解できるという先生が数多くいました。自分も他の方法論を認めないという誤った癖がついてしまいました。経済学科に入ってからは出稼ぎで大きな問題になっていた高知の農村調査にはまっていきました。それで農業経済をやっている関田先生のゼミと日本経済論をやっていた西沢先生のゼミを掛け持ちしました。20歳そこそこの自分を一人前に扱ってくれて旅費まで出していただいて調査旅行に連れて行っていただいたのは森井淳吉先生でした。そのうち私が車の免許をとって農業会議から委託された調査に同行しました。3年生から経済研究会で中四国ゼミで報告したり,レポートを書きました。また同和教育研究会や児童文化研究会という教育学部系の100人を超えるサークルがあって,そのサークルと一緒によく調査旅行に行きました。その事が自分の資産になっています。