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巻末インタビュー107中川その後の高知大学経済学科はどうでしたか?田村経済学科の学生が武闘派として暴れたので,学生を如何に取り込むかが先生方の大きな課題でした。そこで1年次からのゼミ,社会科学演習が始まりました。文理学部が改組されて経済学科となった時から比較すると国際コミュニケーション学科を含めて,今日の研究教育は実に立派になってきました。しかも教育を如何に行うかという勉強をみんなでやろうというFDが行われるようになりました。私は先生から教えられる事は嫌いで,学問は自ら行わないと身につかないと思ってきました。そして先生は後ろ姿で指導すればよいと思いました。しかし,実験技術を教えなければ世に通用する科学が身につかないと同じく,社会科学でも学問をする技術を教えなければ学べなくなっているという事が,恥ずかしいのですが自分は60歳ごろになるまでよくわかりませんでした。しかし,定年間際になって若い先生方から学問を教える技術を学びました。加納治五郎が開いた講道館柔道は教える技術をマニュアル化しましたが,自分が学び身に着けた学問は,加納治五郎が開いたスポーツとしての教育論ではなく,自分らは古武術の柔術レベルだったと思います。経済学でも東大など世界レベルの大学では経済学方法論を一からマニュアル化して叩き込み世界の大学に送り込んでいますが,京大などは悪い意味の放牧でした。自分の学生・院生時代の教員も何も教えてくれませんでしたが,それでは今はよい学生も社会人も育たない時代になりました。時代背景もありますが,学問自体が高度化・国際化してきたと思います。中川では,さいごに先生ご自身の今後の研究についてお願いします。田村10年前からかつてのフィールドだった東南アジアの農村で様々なことをしようと計画を持ってきましたが,気が付いてみたらもう気力・体力が残されていませんでした。しかし,インドネシアをはじめ東南アジア社会の研究は続けたいと思います。中国の農村については経済が発展する前の30年前から農村調査をしていくつか論文を書いてきましたが,ついに研究をまとめられなかったことを悔やんでいます。経済学会会員資格は継続したいと思いま