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62高知論叢第110号近世の政治,経済,社会等の固有の歴史的要請の中で建設され,近世を通じて対外関係の面でも機能し,その歴史的意義を論じたところである。ここでは前掲史料においても浦戸~甲浦間では「堀湊」を除くと「湊」の記載がないことを確認するにとどめる。2.湊の分類と浦での振繋前掲『南路志』では「船路」の項目で(註5),甲浦から藻津に至る63箇所の浦・村について,湊の有無と形状,川の有無,停泊の可否など,隣の浦との距離について記載されたものがある(表2)。このなかで「湊数」として25箇所を掲げ,その内訳として「本湊」14箇所,「堀湊」4箇所,「川湊」7箇所を掲げている。これを整理して掲げると次のようになる。「本湊」14ヶ所~甲浦,浦戸,井尻,野見,須崎,与津,清水,古間目,橘浦,泊浦,榊浦,福良,湊浦。あと1ヶ所は記載なし。「堀湊」4ヶ所~津呂,室津(「新湊」と記載),手結,あと1ヶ所は記載なし(前浜<佐喜浜>)。「川湊」7ヶ所~奈半利,安田,安喜,新居,下田,下茅,あと1ヶ所は記載なし。以上,25箇所注目される第一点は,63箇所のうち,「湊」が存在するのは25箇所のみで,残り38箇所については「湊」がないと認識されていたことである。湊のない浦の割合はここでは約6割に及ぶが,厳密な数値ではない。この63箇所には,枝浦などの小規模な浦は含まれていない。また「船路」すなわち主に沖や沿岸を航行する船の寄港地や避難地を想定され,たとえばそれから外れた湾内の浦,たとえば宇佐浦や福島浦はこの63箇所に記載されていない。土佐藩領の浦数は享保2年(1717)が82浦,天保年間(1830~40年代)で89浦と推定される。おそらく,小規模浦の数が多かったことからすると,湊のない浦の割合はここでの数値以上に高く,7割前後に及ぶものと思われる。