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110号

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概要

110号

土佐藩領の湊に関する覚書69だけでなく,その月の上旬・中旬・下旬のより詳しい区分が必要な場合はこれを記していることに注意しておきたい。基本的には風の影響でその運航が規定されたことを確認できるが,8月は「時化」になるので原則この月は「遠慮」,つまり江戸行きを避けるとするのは,台風や秋雨前線による海上荒天に配慮したものであろう。さて,表3で注目されるのは,5月に「五月之節ニ永雨と成,黒はへ白はへと申番之まぜ風雨を懸而吹申,浦戸口昼夜吹詰申候得は,上へも下へも乗出相叶不申,永廻船ニ相成申候御事」と記述されていることである。5月の長雨(梅雨)に「黒はえ」「白はえ」と称する風(南風?)が雨を伴って吹き,浦戸湾口(浦戸浦の口とも解釈できる)からの出船が困難で,上り(東行)下り(西行)のどちらも乗出すことができない状況を記したものである。海上沖合での季節風の影響ではなく,湾の出入り口(または湊の口)の風による出入りの影響に関する記述である。浦戸湾は高知城下にいたる奥行きが深く,広い湾を形成しているが,湾口が狭かったので,船舶の出入りには風や潮目の影響をうけて困難を伴ったことが想定される。前掲表2のように,浦戸浦の湊に関しては「潮目違ハ大船出入不自由也,高知城下へ入ル」と記されている。ここでは浦戸湾全体ではなく浦戸湾を入ってすぐ南に位置する浦戸浦の湊に関する記述であるが,湾口に近い浦戸湊は潮流の如何では,大船の出入りは困難で,さらに湾内へ入るとの意味で理解しておく。問題となるのは,浦戸は湾が深く入った天然の良港であるが,その口は風や潮の影響をうけ,その出入りも無条件で可能でなかったことである。避難港の機能をもった「本湊」である甲浦や浦戸など,また同様の機能をもった「堀湊」である津呂,室津,手結などにおいても,多くの湊でその出入りには風や潮(干満も含め)影響をうけたことが分かる。海上悪天候が予想される備えとしての湊入津と比べて,既に悪天候に直面していた際の緊急避難は,さらにその困難が想定できるのである。次の史料は,難破船が生じた時の最寄の浦庄屋または郷庄屋が,難破船所属の浦庄屋宛に発給した「浦手形」の例示に見えるものの一部である(註9)。