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70高知論叢第110号浦手形之事一,三枚帆壱艘船頭水主三人乗紀州海部郡塩津浦助太夫船沖船頭利右衛門水主平七同幸次積荷物一,干鰯弐百五拾俵一,船飯米四斗也〆右は紀州塩津浦助太夫船沖船頭利右衛門并水主共三人乗,当国下ノ茅浦ニ而右荷物積立,在国塩津浦へ罷帰申心得を以,去月廿八日申刻右下ノ茅浦出船,夜中走登,同廿九日朝下田浦沖ニ而夜明,夫より段々走行土之沖迄登リ申由之処,嵐泙漂流被致中,四月朔日辰刻より東風吹ニ罷成,大浪立ニ而上へ走申義難成由ニ而,浦戸湊志乗下申由之所,同日巳ノ刻頃より大西風故地山見へ不申,其上白坤風ニ吹替し候故,全浦戸へ入津相成不申,彼是仕中地方近寄申ニ付,無詮方当国十市沖ニ而綱入レ掛被申由之処,弥増之大浪風最早船難凌,荷物段々ニ刎捨船中色々相働由ニ候得共,船之表仕懸本木浪ニもミ離候ニ付,同日暮合十市浜ニ而破船仕候(下略)紀伊国塩津浦(現,和歌山県海南市下津町塩津)の小廻船が土佐国十市村(現,高知県南国市十市)の沖で難破した時の浦手形の一部である。近世中後期の事例と思われるが年代は定かでない。塩津浦の船主助太夫の3反帆船(土佐での「市艇」規模の小廻船で,沖船頭<雇われ船頭>1名,水主2名の計3名のみ乗員)が,幡多郡下ノ茅浦(現,土佐清水市下ノ加江)で干鰯250表を積み込み,塩津浦へ帰る途中で難破したのである。3月28日16時前後頃に下ノ茅浦を出船した同船は翌29日夜明け頃には下田浦沖を通過,土佐沖を東行したが,嵐の様相となり航行もままならず,翌4月1日(?3月が小の月の場合)8時前後頃から東風となり,海上も「大浪」(波浪)となり,東への航行もままならず,浦戸湊への入津を期して「乗下」しようとした。「市艇」規模の小廻船が,下ノ