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110号

75資料紹介日治時代・台湾南方澳への高知県漁民の移住の背景『台湾日日新報』の記事紹介吉尾寛筆者は,これまで〈黒潮〉認知の歴史過程について,黒潮流域と解せられる漢語呼称「万水朝東」等を手がかりにして,台湾に即して検討を重ねてきた1。この作業を通じて,共に黒潮流域圏の中に位置する高知県と台湾の鰹漁業をめぐる20世紀前半の歴史的関係を知るに至った。前稿「戦前,高知県漁民の台湾・南方澳への移住(序説)」(『土佐史談』第254号2013年)においては,1920年代半ば以降の高知県漁民の台湾・南方澳(宜蘭県蘇澳鎮)への移住について,先行研究の成果をふまえて以下のような初発の見解を示しておいた。(1)準備段階:1926(大正15)年,高知県水産会主催の台湾への移住講習会が開かれる。講演者は,台湾側から台北州水産試験所長の技師・宮上龜七,高知県から県地方農林技師・横山登志丸ならびに県水産会書記・龜谷浤夫で,7月26日に幡多郡清水町清水,同27日に同町大浜,同29日に吾川郡浦戸村,同30日に安芸郡室戸町,同8月1日に高岡郡宇佐町,それぞれで実施される。(2)移住登録希望者~実際の移住者の規模と推移(1926~39(昭和14)年):希望段階で26家族あり,実際に移住する段階で12家族に減ったものの(家族総数65名),その後何らかの経緯で移住にいたった家族は26家族(1931年,家族総数135名),24家族(1939年,家族総数139名)と推移した。こうした高知県漁民の移住者数は,1927年(昭和2)に移住を開始した愛媛県,長崎県,鹿児島県,大分県と比較しても多く,かつ以後安定した定住が見ら高知論叢(社会科学)第110号2015年3月