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110号

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概要

110号

日治時代・台湾南方澳への高知県漁民の移住の背景77知る一次史料として広く知られている2。小稿では,『台湾日日新報』に掲載された高知県人,高知県に関わる記事の一部を紹介し,その数量的,内容的特徴を若干述べることにしたい。このことを通して,1926(大正15)年から本格的に始まる高知県漁民の台湾・南方澳への移住の背景の一端を示したいと思う。末尾の地図もご参照いただければ幸いである。○以後,小文では,特別に強調しない限り,『台湾日日新報』を『新報』と略記する。記事を引用する場合は,読みがなは省略,文字は基本的に常用漢字に変換し,下線は全て筆者による。※次頁の表をご覧いただきたい。『台湾日日新報』(DVD版データベース)より「高知」をキーワードとして抽出した記事件数412についての概要を表したものである。(「高知」が付く別義の記事は可能な限り除外した。)本表では,件数全体の分布のほか,内訳について「県人会」,「高知漁業一般(含遠洋)」,「珊瑚漁業」,「珊瑚漁民移住」,「鰹漁業」,「一般漁業移住」の項を設け,数量の分布を記載した。以下,これらを指標として,当該漁民の移住の背景に関して卑見を述べたいと思う。【「高知」の記事全体の分布】当該データベースにおいては,管見の限り,「高知」に関わる記事は,1897(明治30)年から1942(昭和17)年までの36年間について421件存在する。これらの中には,電報による記事(「特電」「内地電」等27件),コラム記事(「地方色」58件)も認められ,高知県内で起こった災害から刑事事件まで数多くの出来事が紹介されている。と同時に,高知県に縁ある行事が台湾で催される際,その予告・報告記事も少なからず掲載されている。次の記事は,「板垣伯追悼会」の予告である。この記事自体は,日本の自由民権運動史研究者の間にも知られるものと側聞しているが,文中,林献堂(1881-1956)は,1913年より板垣退助と交友関係をもち,翌年板垣と「台湾同化会」を作り,台湾議会設立運動も指導した著名な知識人である。