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110号

日治時代・台湾南方澳への高知県漁民の移住の背景79◆1919(大正8)年7月26日,27日板垣伯追悼会台中の有志者加福庁長小畑公共団長坂本高知県人会長林献堂,林烈堂,蔡蓮舫の諸氏発起をなし来る二十九日午後五時より台中寺にて故板垣伯の追悼会を催ほす由(二十五日台中電話)こうした記事を含む「高知」関係掲載数の分布を,36年間の幅で大きく捉えてみると,1922(大正11)年から1937(昭和12)年の16年間,掲載数が急激に増加したことが分かる。その数は全体の約78%を占め,この時期に高知県と台湾双方に関わる出来事が増えたと推測される。この点,表中の内訳「高知漁業一般」,「珊瑚漁業」,「珊瑚漁民移住」,「鰹漁業」,「一般漁業移住」においても当該時期増加傾向が見出されることから,高知県と台湾双方に関わる出来事を増加せしめた契機には,高知県の漁業,移民を含む高知県漁民の活動も亦何らか関わっていたのではないかと考える。【「県人会」関係の記事】「高知県人会」と称される団体の記事の『台湾日日新報』(DVD版データベース)における初出は3,1897(明治30)年である。◆1897(明治30)年5月30日高知県懇親会高知県人第二回会懇親会は来月六日六舘街小島屋に於て開会する由にて発起人総代島村平尾野村の三氏より夫々案内状を発したり◆1897(明治30)年6月8日高知県人懇親会□は予記の如く去六日午後四時より六舘街の小島屋に開き来会者は武官には南部少佐山本副官山田長沢両大尉文官には土井通信部長桑原支署長高橋農商課長島村監察署長実業家には平尾喜寿野村信義其他の官民七十余名の人々にて緑酒紅灯の中例の胴上げおどり角力剣舞等ありて中々の盛会午後十時過ぐる迄なりき「高知県人第二回会懇親会」の記載を見ると,「県人会」自体は1896(明治29)年か1897年初春には設立されていた可能性がある。また,後掲の『新報』