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110号

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概要

110号

日治時代・台湾南方澳への高知県漁民の移住の背景81内,桃園,基隆等各組合から選抜余興の競演あり夫々大喝采裡に進行終りに土佐名物の箸拳ヨサコイ節の合唱などで一同大満悦で午後四時散会したつまり,南方澳への高知県漁民の移住の背後には,高知県民そのものの台湾への移住・定着が進んでいく動きがあったと言い得よう。【珊瑚漁業者の基隆を中心とする移住】日治時代の高知県漁民の台湾への移住に関しては,珊瑚漁業の方面おいて夙に研究成果が公にされている4。問題は,この珊瑚業移住民と,筆者が注視する,1926年から本格始動する「一般漁業」(鰹漁業を中心とする)を営む移民との関係をどのように捉えるかである。『新報』の記事は,この点に関して或る輪郭を描かせる。次の1924(大正13)年の記事に依れば,珊瑚漁業を営む高知県漁民は,当時既にまとまった数(約500名)基隆に移住しており,その状況は愛媛県の移住事業(約500名移住,内100名程度が珊瑚漁業従事者)とせめぎ合う様相すら呈していた。そして,その背景には,高知県側の「漁民救済」の意思具体的には1「(国内沿岸)漁業の不振」とその対策としての「遠洋漁業奨励」があり,加えて2前年その奨励策の一環として進めた「朝鮮」への漁民移住(「漁村設置」を含む)の失敗,その再発防止への意思があった。◆1924(大正13)年8月11日珊瑚漁業の有望に五百余名の漁民が高知から基隆に移住する台湾に於ける珊瑚漁業は其の後の成績益々良好にして空船にて帰港するもの無き有様で内地営業者は大に之に注目し如何にして割込むべきかに就て種々研究中で愛媛県からは菊山技師,高知県からは高知県水産会長田村実氏,横山同県技師来台し総督府当局と種々の折衝をなし居ること既報の通りであるが仄聞する処に依れば高知県では漁場狭隘を告げ(改行)漁民の収支相償はず斯業は益々不振に陥るばかりであるので基隆の珊瑚漁業の有望なるを幸ひとし遠洋漁業奨励の意味に於て又漁民救済の意味に於て本島に高知県下の漁民を移住せしめ以て珊瑚其他一般漁業に従事せしむべく大体総督府当局との諒解が出来た模様であるが其の移民に要する費用