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110号

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概要

110号

日治時代・台湾南方澳への高知県漁民の移住の背景89三福寿丸)の水産試験船の真の調査目的は,「南方漁場」での鮪・旗魚漁操業の準備のために他ならない。「南方漁場」とは,これまでの一連の記事を合わせて見るならば,近くは「比律賓(フィリピン)沖合」,あるいは「馬尼拉(マニラ)理沙拉侃(南沙諸島?),達亙奥(地名不定)其他」,遠く「シンガポール,スルー海新南群島附近」までを指そう。正に,「新漁場開拓の重大使命」を負った高知県を含む日本の水産調査船団が高雄港等を拠点として次々と出航し,各県の鮪・旗魚漁操業漁船団が続々とその後を追うありさまが想起される。即ち,高知県漁民が台湾南方澳へ本格的に移住を開始したその背後にあっては,台湾の漁港(高雄等)を拠点として,「南洋」に漁場を拡大する〝日本水産界の南進政策?が幕を切られようとしていたと考えられる。前稿7で述べたように,この〝水産南進?策の所以には,資源環境の面での鰮等の生き餌の減少が有るが,鰹漁業を例にとれば,最終的に本策は(「南洋」における「南洋節」製造に至って),在台鰹節加工業(「真鰹節」・「惣田鰹」製造)との間に深刻な矛盾を引き起こすことになる。かかる日本水産界の南進政策といわゆる国家の軍事的南進策とはいかなる関係にあるものなのか。こうした問題をも高知県に即して検討する上で,『台湾日日新報』は有力な史料の一つとなるであろう。1拙稿「17世紀から19世紀の台湾の地方史料にみえる海流と〝黒潮?の呼称」(『海洋と生物』161 2005年),「台湾海流考漢籍が表す台湾をめぐる海流と〈黒潮〉遭遇」(『海南史学』44 2006年。小稿は顧雅文訳として『(台湾)白沙歴史地理学報』6 2008に再掲),The Role of Ocean Environments in the History of the East Asian Seas, KuroshioScience, Vol. 4 No.1 2010, Graduate School of Kuroshio Science, Kochi University,「東亜海域世界史中的海洋環境」(復旦大学文史研究院編『世界史中的東亜海域』中華書局2011年所収),及び編著『海域世界の環境と文化』東アジア海域叢書4汲古書院2011年)等。2例えば『増補改訂版台湾史小事典』(中国書店2010年)の「台湾日日新報」の項には次のように記されている。「日本時代,台湾で発行量が最も多く,最も長続きした新聞。明治31年(1898),『台湾新報』,『台湾日報』を合併して発足し,…台湾総督府が経費を補助した。『台湾日日新報』は日本時代最大の新聞社で,『台南新報』,『台湾新聞』とともに三大新聞と言われた。昭和19年4月1日,総督府の新聞業を統一するという政策により,…『台南日報』,『台湾新聞』,『興南新聞』,『東台湾新報』,『高雄新報』の5社と合併して『台湾新報』となり,廃刊を宣言した。総計15,800号余りを発行した。…明治34年11月からは,8面のうち2ページは中国語版とし,明治38年7月1日からは『漢文