ブックタイトル高知論叢111号

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高知論叢111号

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高知論叢111号

14高知論叢第111号4.日本の土地価格に関する論点日本の土地問題を経済学の枠組みの中でどのように位置づけるかという基本的な命題に関して,1960年代から次のような論争があった。それは日本の土地価格形成には経済学の常識が当てはまるか否かという素朴な疑問から出発した。当てはまらないと主張する論者は伊東光晴(1967),新沢嘉芽統・華山謙(1970)らであった。伊東光晴や新沢嘉芽統らがかつて主張したことは,地価は周辺部から都心に波及する「限界地波及」現象があるとする説である。ところがそのことは大都市の周辺部における一時期の現象に過ぎないものであった。彼らの所説は,限界値に端を発する上昇の波が波及して地価を上昇させるために,普通の財のように需給で地価が決まらないという奇妙な土地異質論であった。伊東光晴氏や新沢嘉芽統らの主張と岩田規久男との激しい論争は事実によって決着がついた。新沢らの議論で無視できないことがあるとすれば,日本の大都市周辺における転用面積の減少がみられたことであった。これは日本の土地制度の規制と都市周辺部の供給農地不足に起因するものであった。一方で,過疎地域においては転用圧力がなく供給が常に過剰であった。1970年以降,過疎地域においてもその地域の中心部においては需要が多いが周辺部では転用が少ないという傾向がある。これらは需給関係のなかで説明できる。次に,1980年末から90年初頭にかけての地価高騰をどの様に評価するかをめぐる論争があった。この時期の地価高騰はバブルであったのか否かという議論である。この時期の地価高騰にはバブルが含まれていたとされている見解があった。一方で,ファンダメンタルによって説明されるべきであるとする見方や折衷的な視点があった。旧経済企画庁『年次経済報告』(1993)はこの時期の地価高騰についてバブルが含まれたと述べた。80年代後半の資産価格の大幅上昇に関する同報告では,1ファンダメンタルズに沿った部分2ファンダメンタルズを越えたバブルがあった,としてこの時期の地価高騰について折衷的な見方を示している。それ以後の地価下落については,90年前後に相次いでとられた土地基本法以降の税