ブックタイトル高知論叢111号

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高知論叢111号

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高知論叢111号

効果裁量,計画裁量,及び裁量瑕疵に関する基礎的考察(1)73一般的に,判断過程の統制が裁量行為の統制として適切であるとされるのは,行政の判断の「帰結」ではなく「過程」に着目した審査であるからである。それではなぜ,裁量審査では,原則,裁判所は行政の判断の帰結をみてはならないのであろうか。判断の帰結をみるとは,最高裁の定式をかりると,裁判所がその処分の適否を審査するにあたって,行政庁と同一の立場に立って当該処分4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4をすべきであったかどうか等について判断し,「その結果と当該処分とを比較して4 4その適否を判断」する(最高裁昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁,最高裁平成8年3月8日民集50巻3号469頁。なお,強調点は筆者による)ことである。これは覊束行為に対する審査方式,いわゆる実体判断代置方式である。覊束行為においては,裁判所は行政の立場に立って自身の判断過程によって判断の「帰結」を得ることが求められる。これはもちろん,法解釈・法適用に関する司法権限ということから正当化されるが,もう一つの理由そしてより根本的な理由として,すべての学説で必ずしも明言されてきたとはいえないが,覊束行為では「唯一の正しい決定」(nur ein richtige Entscheidung)がある仮にこれがフィクションであったとしてもということが想定されてきたからであろう5。そしてこの法適用における答えの唯一性という理念は,法適用に関する司法権限論を支える理由の一つになっていることも忘れてはならないであろう。当該問題について,法秩序の中に唯一の正しい答えがあるからこそ,中4 4 4立な裁判所が客観的に判断できるからである6。このように考えると,裁量行為で判断代置が許されないのは当然のことである。裁量行為は唯一の正しい決定を,原則裁量収縮の場合等を除く,想定5我が国では裁量行為についてこれを否定することで,間接的に「覊束行為における唯一の正しい決定」というテーゼを認めるものとして,原田尚彦『行政判例の役割』弘文堂(1991)135~136頁。また,ドイツ行政法学ではこのテーゼは伝統的に主張されてきた。例えば,Carl Hermann Ule, Zur Anwendung unbestimmter Rechtsbegriffeim Verwaltungsrecht, Forschungen und Berichte aus dem offentlichen Recht, in:Festschrift fur Walter Jellinek, 1955, 309ff. ; Otto Bachof, BeurteilungsspielraumErmessen und unbestimmter Rechtsbegriff im Verwaltungsrecht, JZ 1955, 97ff。なお,このテーゼについての連邦行政裁判所の立場としては,有害図書の事例(BVerwGE 39,197)が参考になる。また,これが法学方法論においてどのように正当化されるのかという点については,Robert Alexy, Ermessensfehler, JZ 1986, 701-716(714).6Bachof前掲注(5)98f.