ブックタイトル高知論叢111号

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高知論叢111号

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高知論叢111号

80高知論叢第111号とになる。たしかに,土地収用法20条のような規定を考えるとき,事業認定の要件に裁量を認めれば,これは形式上要件裁量となるが,土地収用法20条をそもそも条件プログラムではないと捉えれば,要件裁量をめぐる厄介な議論からも解放されることになる。そしてこの規範は行政に正しい思考方法を求めているに過ぎないとすれば,帰結である行政決定を直接審査しないことにも正当な理由を見出すことができるだろう。しかしながら,後述するように,目的プログラムと条件プログラム,あるいは衡量と包摂との区分を過度に強調すると,法適用のあり方一般を見誤るばかりか,過程の統制の正しい使い方にも影響を与えかねない,と筆者は考える。そもそも,効果裁量における裁量権行使は「できる規定」に基づくものであるが,類似する事例に裁量権が繰り返し行使されれば,場合により行政の自己拘束の原理が働く,ということには異論はないであろう。本件の控訴審判決もこのような立場に立っていると捉えることができる。ところで,この場合拘束力が生ずるのは同一タイプの事例であるので,自己拘束に基づく裁量権行使の制約は「同一の衡量を毎回すべし」というのではなく,むしろ「できる規定」の例外として,「ある特定要件が充足された場合には,特別な理由がない限り許可しなければならない」との法定立を行政がしたことになるとの見方もできる14。この場合,裁量権の行使は,むしろ,「できる規定」の例外としての「すべし規定」(ドイツ法でいうところのMus規定あるいはそれよりは弱いSoll規定)の法定立権限行使であるとも捉えられる。このように,「衡量という裁量」を法定立権限と理解した場合,衡量の問題はすべてではないにしても包摂の問題へと転換され得る,といえるだろう。仮に,これを本件事案でみると,学校教育法85条「学校教育上支障のない限り,学校の施設を社会教育その他公共のために,利用させることができる」の例外として,教育委員会が繰り返される実務を通して「ただし,教育研究のための集会については,学校教育14少し古い文献ではあるが,Walter Schmidt, Gesetzesvollziehung durch Rechtsetzung :Untersuchungen zu den Verwaltungsvorschriften und zur "Selbstbindung derVerwaltung", Gehlen, 1969.