ブックタイトル高知論叢111号

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高知論叢111号

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高知論叢111号

96高知論叢第111号原則の区分の問題,また第三原則の対象論などが挙げられる60。しかし,本稿ではもっぱら「過程」と「帰結」の区分論を分析的に検討するという立場から,そして5以降での法学方法論上の議論への関連から,衡量原則に関する判例法理について,以下の問題点を指摘しておきたい。まず一点目として,衡量の過程と帰結の分離は論理的には重要であることは否定できない。概念のいわゆるプロセス・プロダクトの曖昧さ(processproductambiguity)は正確な議論をする上で障害になるので,この点で板ガラス判決がプロセスとしての計画とプロダクトとしての計画を分けたことには意義がある。しかし,法理論(判例学説の法理)が使用する概念は,講学上の意義とは別に,概念使用の実践的な意義が求められる。この点で特に「帰結」概念については問題なしとはいえないであろう。というのは,板ガラス判決によれば,衡量原則違反の瑕疵は過程と帰結で別個に認定されるゆえに,この概念区分は意義があることになる。しかし,たとえば過程に一切瑕疵がなく,帰結にのみに瑕疵があるような計画などはあり得るのであろうか。そして,そもそも,瑕疵があるような帰結とは一般にどのように定義すればよいのであろうか。3でみたように,効果裁量においては帰結は法律効果を指すので,法定の法律効果の枠を外れれば,瑕疵ある帰結となる裁量踰越。しかし,連邦建設法典に代表されるような計画法においては,法律効果の枠は明記されてはいない。むしろ,学説がいうように合法な,すなわち瑕疵がない計画の中身の選択肢は数多く存在する61。このような状況では帰結概念そのものは問題がないとしても,瑕疵論との関係でこの概念の有用性は疑問視されるといえるだろう。二点目として,過程と帰結の瑕疵の認定においては,違法性の認定基準すなわち衡量法益が異なると判例はいう。しかし,これは,既存の計画を新法下で受容することが問題になる特殊なケースではいえても,一般に違法性基準が過程と帰結で異なるとは考えづらい。また,板ガラス判決が帰結の瑕疵の基準とする連邦建設法1条1項「都市計画上の発展の秩序」という一般的目的規定は違法性の基準としてなぜ衡量過程では衡量法益にはならないのか,説明ができ60文献も含めてSchmidt-Asmann前掲注(18)Rdn. 208ff.61Hoppe前掲注(37)644.