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概要

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日本のファミリービジネスに関する歴史的研究7政治の中心であった東京であったが,当時は繊維産業が盛んであった大阪にも上場企業が多かった。また地方においても藩政時代から続いた,資産を有する特権的な商人は1870年代から数多くの企業を創業した。しかし,明治初年の士族授産事業や華族による創業はビジネスの素人が担ったために,ビジネスとして成功する者は少なく,倒産するかM&Aの対象となり,彼らはその後も投資家になるにとどまった。中央,地方の財閥本家は合名会社,合資会社として株式非公開の持株会社を設立し,同族が主要な企業を支配した。日本の財閥はF.Fが巨大化したものである。四大財閥は明治の起業期において幅広い分野においてコンツェルンとなった。明治期に形成された日本の財閥は資本草創期であったので産業分野をまたがったコンツェルンとなることは自然の流れであった。明治初期に形成された財閥が財閥本家の持ち株会社となり幅広い業種のコンツェルンとなった要因は起業の早期性にある。全く競合する同業種企業がなかった国内市場において,西洋からあらゆるベンチャーモデルが移入された起業ブームであったことに起因する。これに対して大正,昭和初期に形成された新興財閥は特定の業界と関連する分野において大きな強みを発揮する財閥であった。地方でも鉄道,電力,繊維などを中心とする財閥が生まれた。また渋沢グループを典型として,起業と投資を主たる目的とするグループも形成された。鈴木商店を除いて四大財閥は金融グループを抱えており,経済情勢によって破綻することはなかった。渋沢家のように多くの株式会社を設立するが,創業家はほとんど経営に関与しなかったグループもあった。戦前の財閥系コンツェルンにはいくつかのタイプがある。財閥ファミリーが非上場の持株会社株式を所有するがファミリーは経営に関与せず幹部社員に経営を委任する住友型,ファミリーが持株会社だけではなく個人名で株式を所有し,かつファミリーが一部の会社の経営にも関与する三井,三菱型,株式会社の設立に関与するが経営には直接関与しない渋沢型があった。これに対して,鮎川,森,大川,藤村などの新興財閥は創業者が経営のトップに立った。鉄道,電力を中心にして大都市圏周辺には有力な財閥も生まれた。地方財閥は財閥解