ブックタイトル高知論叢

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概要

高知論叢

60 高知論叢 第113号法35条)であるとする見解が有力であったが,近年では,患者自身の『自己決定』を強調する見解が有力である」6といわれている。医療従事者が患者側の求めに応じて適切な医療を提供し,結果として治療が効を奏し,患者側が満足すれば何も問題は生じない。上記の違法阻却の説明で刑事法上も事足りる。しかし,現実にはこのように理想的な結末を迎えない場合も当然生じうる。日進月歩で進化する医療技術において,何が「適切な医療」かは必ずしも自明ではないし,治療の結果が患者側の期待したものとならなければ,医師と患者との間での治療に関する認識の齟齬も生まれかねず,治療が失敗して死の結果となれば,その齟齬は大きくなろう。場合によっては,医療側の民事上,刑事上の過失(業務上過失致死傷罪等)が問われることにもなりうる(しかも,チーム医療を前提とすれば過失の競合なども問題となりうるが,この点は本稿では扱わない)。この齟齬が生じた場合,患者側からみれば,本当に医療従事者が精一杯適切な医療を提供してくれたか,死を迎えることが必然だったとしても,本人が望む(はずだった?)かたちで,満足のいく最期を迎えることができたか,患者ばかりでなくその家族も繰り返し思い悩むことになるかもしれない。患者の権利が保障され,自己決定が尊重されたと感じうるか否かも,この齟齬を生むか否かの重要な要素の一つである。他方,医療従事者にとっても,長引く医師不足の現状のもと,激務の中で患者のためにと精一杯治療を施してきたにもかかわらず,保険に入っているとはいえ,自分の過失で民事責任を問われるばかりか,最悪刑罰を科されることになれば,思う存分患者のために腕を振るうよりは,事なかれ主義でありきたりの医療を提供しておいた方が無難(萎縮医療7)だということになってしまうかも知れないし,そもそも医者などの医療従事者になんかならない方がよいということにもなりかねない。6 松宮孝明『刑法総論講義[第4版]』(成文堂,2009年)128頁。7 医療事故について過度の刑事司法制度への依存を問題視するものとして,松原久利「医療の安全と刑法」同志社法学第66巻3 号(2014年)577頁以下参照。特に,その問題点の整理として,579頁以下を参照。