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概要

高知論叢

「医療と刑事法」に関する一考察 733 医療過誤と刑事責任上述したように,医療の「特殊性」を肯定するにしても,なお,医療における過失と刑法上の過失との関係が明らかになる訳ではない。医療に対する刑事介入が問題視された事案として,大野病院事件54を挙げることができよう。医療事故調査制度が確立されることとなる契機となった事件でもある本件は,2004年福島県立大野病院において実施された帝王切開術に伴い,患者が出血性ショックにより死亡し,執刀医であった被告人が業務上過失致死罪等で逮捕,起訴されたものである。2008年8 月20日,福島地裁は被告人に無罪を言い渡し,検察の控訴断念により判決は確定した。しかし,本件が産科医療に与えた影響は計り知れないとの指摘もあり,産科医師の不足,産科医療の崩壊の危機をもたらしたとされている。また,警察・検察側が捜査等にあたって依拠していた福島県の院外事故調査委員会報告書に対しては,遺族への補償支払いを円滑にするため,医師の過失とする必要があったのではないかとの疑念も指摘されている。この事件が刑事事件とされたきっかけが,福島県の院外事故調査委員会報告書だったとの指摘55もある。福島地裁の無罪判決56は,医療と刑法の関係を考える上で重要な指摘をしている。この裁判において検察官は,大量出血による生命の危険が予見可能であるから,既に開始していた胎盤剥離を直ちに中止して子宮摘出手術等に移行するという結果回避義務があったと主張したが,被告人側は胎盤剥離後の子宮収縮等により出血を止めうることを期待して胎盤剥離を継続することは臨床医学の実践における医療水準にかなうものと反論していた。この点につき,無罪判決は「臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ,その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則は,当該科目の臨床に携54 宗像雄「福島県立大野病院事件・刑事事件判決について」医療判例解説第16号(2008年)1 頁以下,平岩敬一「医療の専門的知識を有しない捜査機関による不当な逮捕・起訴」季刊刑事弁護第57号(2009年)111頁以下等を参照。55 澤・前掲注(53)197頁。なお,同198頁によれば,報告書作成の目的は,「真相究明」よりも「亡くなられた患者家族への補償」に大きく軸足が置かれたとのことである。56 福島地判平成20年8 月20日医療判例解説第16号(2008年)20頁以下。福島地判平成20年8 月20日季刊刑事弁護第57号(2009年)185頁以下。