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概要

高知論叢

「医療と刑事法」に関する一考察 79さらに,医師による「治療行為の中止」が殺人罪に問われた事案として,川崎協同病院事件が挙げられる。被告人は,気管内チューブを抜き取り呼吸確保の措置を取らなければX が死亡することを認識しながら,あえてそのチューブを抜き取り,呼吸を確保する処置を取らずに死亡するのを待ったが,予期に反して,X が「ぜいぜい」などと音を出しながら苦しそうに見える呼吸を繰り返し,鎮痛剤を多量に投与してもその呼吸を鎮めることが出来なかったことから,事情を知らない准看護師に命じて,筋弛緩剤を,X の中心静脈に挿入されたカテーテルの点滴管の途中にある三方活栓から同静脈に注入させて,X を呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させて殺害したとされた事件である。川崎協同病院事件一審横浜地裁83は,末期医療における治療中止の許容性の要件として,「患者の自己決定権の尊重」と「医学的判断に基づく治療義務の限界」を挙げた。その上で,本件は,(1)「回復不可能で死期が切迫している場合」にはあたらず,(2)被告人は,家族らに対し,患者本人の意思について確認していないのみならず,患者の病状や本件抜管の意味の説明すら説明していない。精神的に相当不安定となり医学的知識もない妻らに,9 割9 分植物状態になる,9 割9 分9 厘脳死状態などという不正確で,家族らの理解能力,精神状態等への配慮を欠いた不十分かつ不適切な説明しかしておらず,結局,本件抜管の意味さえ正確に伝わっていなかった。被告人が,家族らが治療中止を了解しているものと誤信していたことも,説明が不十分であること,患者本人の真意の追求を尽くしていないことの顕れであり,前記要件を満たしていないとして,「患者の自己決定権の尊重」の要件を満たさず,(3)被告人の本件抜管行為は,「治療義務の限界」を論じるほど治療を尽くしていない時点でなされたもので,早すぎる治療中止として非難を免れないとした。先述したⅱ東海大安楽死横浜地裁判決とは異なった構造をもつことが指摘されてもいる84。すなわち,東海大安楽死事件横浜地裁判決は,「患者の自己決定論」と「医師の治療義務の限界論」83 横浜地判平成17年3 月25日刑集63巻11号2057頁以下,判時1909号130頁以下,判タ1185号114頁以下。84 町野朔「患者の自己決定権と医師の治療義務  川崎協同病院事件控訴審判決を契機として  」『刑事法ジャーナル』第8 号(2007年)49頁以下。