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概要

kouchirouso_114_20180329

46 高知論叢 第114号これに対して,日本では,敗戦直後から人口ボーナスが発現して,一度は低下しつつも,1990年代初頭まで続いている様子がわかる。この変動はもっぱら戦後のベビーブームとそれに続く第2次ベビーブームによるものである。日本の場合,1950年から生産年齢指数が上昇し始め,一旦は低下するものの,1990年頃にそのピークを迎えている。同指数は1960年代の半ばから2005年頃までの50年近くに渡ってその値は2を超えている点が注目される。このように,イギリスやドイツと比較すると日本の人口ボーナスの時期は戦争のない平時に到来しており,しかも,その期間が長い。言い換えれば,日本の人口ボーナスはその大きさにおいて,イギリスやドイツをはるかに凌ぎ,また,その効果を発揮し易いタイミングで発生したのである。この点は,東アジアの各国にも共通している。図5には日本に加えて,台湾,韓国それに中国を加えた生産年齢人口指数のグラフを示している。台湾,韓国とも人口ボーナスは1965年頃に始まり,2015年頃に終点を迎える。その期間はおよそ50年となる(中国は発現の時期がやや早いものの,その期間はやはり約50年である)。しかも,人口ボーナスの終点付近では,生産年齢人口指標の値は3に近い水準となっており,これらの経済圏の人口ボーナスは日本をも凌ぐ規模となっている。また,この指標の動きがいかにダイナミックなものであったかは,戦後の欧米各国の生産年齢人口指標の動き(図6)と比較すると容易に確認できる。図6で生産年齢人口指数が2を超えているのはドイツだけである。また,このドイツでも指数の値が2を超える期間は15年程度に過ぎない。これに対して,図5に示した北東アジア各国ではすべての国の数値が2を上回っており,その期間は40年以上に及び両者の差は歴然としている。以上のように,北東アジアの人口ボーナスは欧州が経験したことない大きさとなっている。人口ボーナスによる大量の労働投入はKrugman(1994)の指摘する資源投入主導の経済成長をけん引するとともに,東アジアでの人口ボーナス論を生み出す基盤となったのである。東アジアでこれだけの人口ボーナスがもたらされた要因のひとつは,人口転換の期間が欧州に比較して短かったことがあげられる。すでに日本とイギリ