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概要

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48 高知論叢 第114号スの比較でその期間の差異は確認ずみである。このほかの国についても,例えばChesnais はスウェーデンの人口転換の期間を150年,ドイツを90年と推定し,中国・台湾のそれを70年としており,東アジアの転換期間は短い(Chesnais1992,305頁,312頁)。人口ボーナス論と人口転換論の関係でいえば,人口転換の局面Ⅱの期間がとりわけ重要である。この局面では,少死多産から少子少産へと状況が変化する。このときの出生率の低下の速度が人口ボーナスの大きさを規定する。すなわち,出生率が急速に低下すればするほど,年少人口の伸びは停滞し,出生率が急落する以前に生まれた人口が生産に従事することで生産年齢人口の比率の増加は大きくなる。東アジアの場合には人口転換の期間(その中でも局面Ⅱの期間)が短く,出生率の低下も急速であった。このため,人口ピラミッド上の生産年齢人口の膨らみは急速に拡大し,人口ボーナスは大きなものとなったのである。このことを図2~図4を用いて少し詳しくみてみよう。図4でみたように,イギリスの人口ボーナスは1900年頃に,また,日本は1950年頃から始まっている。図2,図3では,人口ボーナスの始まったこの時期から10年間で出生率がどれほど変化したかを点線の楕円で示している。2つの図を比較すれば,一目でわかるように日本の出生率の低下は急である。すなわち,図2に示すイギリスでは出生率は28.7‰(1900年)から25.1‰(1910年)と10年間でおよそ3.6‰の低下をみせている。これに対して,日本は28.1‰(1950年)から17.2‰(1960年)の10年間に10.9‰もの減少を示しており,その値は下落の幅はイギリスと比べて3倍近い。出生率の急落は,台湾や韓国でも同様に観察できる。出生率の急落は東アジアに共通した特徴であり,欧州を凌駕する人口ボーナスを基礎づけた15。急速な出生率の低下はさまざまな要因によってもたらされたと考えられている。例えば,日本の場合では,終戦直後には「生活水準の極度の低下」が,また,15 このほか,これらの地域には人口の増大を受け入れることができる新天地がなく,人口ボーナスで増加した生産年齢人口がそのまま域内に残留した点も見落とせない(阿藤2000,42頁)。