高知、そしてタイ
眞 崎 裕 史 (2006年3月卒業)
タイのお寺での1日は、辺りがまだ暗い午前4時に幕を開ける。「ゴーン、ゴーン」と打ち鳴らされる鐘の音が起床の合図。寒さに身を震わせながら用を足し、着物を替える。支度を終えると、懐中電灯を片手に、暗い木々の間を抜けて本堂に向かう。急いでいても決して走ってはいけない。227ある戒律(仏教徒が守るべき規則)のひとつとして、走ることは禁じられているのだ。本堂に着くと、仏像の前で先輩の僧侶がすでに準備をしている。電灯は使わない。ロウソクの光がかすかに堂内を照らす。本堂には僧侶が5名。出家生活2年目を迎えた僧から、3週間ほどの私までの面々である。準備が整うと、仏像に向かい頭を3度下げ、お経を唱え始める。「ナッモー、タッツァー、パカワトー、アラハトー…」。意味はほとんど分からない。ただただ遅れないように本の文字を追っていくので精一杯だ。タイ文字が早く読めない私は、文字の上にカタカナで読み方を書いている。とにかく必死だ。
そして、足の痛みと寒さが限界に近づく午前6時前、朝の読経と瞑想がようやく終りを迎える。辺りはすっかり明るくなり、鳥のさえずりが聞こえて来る。刺激的な私の1日が始まる。
いきなり何の話かと思われたことでしょう。高知大学は仏教の学校かと思われた方もいるかも知れません。もちろん、違います。なぜこのような話から始めたのかと言いますと、これは私が大学生活5年間で経験した中でも、特に思い出深い場面のひとつであるからです。
私は大学4年目の1年間、タイ王国東北部にあるコンケン大学に留学しました。その理由を詳しくお話する余裕はありませんが、「今までの自分とは違う自分に出会いたかった」とでも言えましょうか。「新しい自分」と出会うために、今まで自分が生きてきた価値観とは違うところで生活してみたいと思ったのです。しかしながら、タイの現地事情を知るどころかタイ語さえ聞いたことがなかったのですから、いま振り返ると、恐るべきいい加減さです。
留学理由はどうあれ、タイで過ごした1年間で本当に色々なことを経験しました。留学先の大学で受ける授業、スラムでの課外活動、サークルの友達との野外キャンプ、現地NGO(民間支援団体)の活動への参加、学期間休暇を利用した「出家」など、刺激的な経験ばかりで、今では大切な思い出となっています。また、辛くて美味しい現地の食べ物の味やルームメイトとの友情、食中毒時の苦しさも忘れられません。
「出家」をしたなどと言うと、よほど「変わった」学生のように思われるかも知れません。あるいは、「元気な」学生だと思われる方もいるでしょう。どちらもある程度当たっていると思います。しかし、入学当初から「変わり者」で「元気」な学生だったわけではありません。実際はどこにでもいる学生…というより、極度に無気力で何の目的も持っていない学生でした。実は高知大学を受験したのも、親の「命令」に従っただけであり、何かやりたいことがあって大学に入ったわけではありません。やる気のないバカ坊主が、就職を逃れ偶然たどり着いた先が高知大学だった、と言えるかも知れません。
入学してからの半年間は、入学前と変わらず悶々とした毎日を過ごしました。生きる意味も見出せずに「ただ存在している」だけでした。しかし、こんな私にも変化の波が訪れました。次第に外に目が向き、自分らしく前向きに生きていけるようになったのです。このように私を変えてくれたのは、先生方と友人たちです。彼らに出会うことがなければ、私は以前のままのやる気のない人間だったでしょう。彼らには本当に感謝しています。
かつての私のように、悩み苦しんでいるあなたへ。自分らしく生きるために必要な条件とは―生きること―ただそれだけだと私は思います。生きてさえいれば思いがけない出会いがあり、自分自身が次第に変化していく、と私は自分の経験から思います。もちろん、色んな興味や関心・希望をすでに持っている人は申し分ないと思いますが、生きているだけで大きく羽ばたくことが出来る土壌が、高知大学にはあります。豊かな自然に温かい人々、東京などとは違う、ゆったりとした時間の流れもあなたを支えてくれるでしょう。ぜひそんな高知大学で青春の1ページを刻んで欲しいと思います。
そうそう、戒律では、なぜ走ってはいけないとされているのか。それは、1歩1歩自分の歩みを噛み締めて歩くことが大切だからだそうです。焦らずに、1歩ずつ、1歩ずつ。私も、学生生活5年間で得た経験を大事に、これからの人生を1歩1歩自分のペースで歩んでいきたいと思います。
(2007年9月)