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ベトナムにて

自分の足で世界を見る

Saori(2007年4月入学)



旅支度 大学生活4年間、目標を立て実行してきたことがある。

それは「自分の足で世界を見ること」。
高校時代までは本やテレビでしか見ることができない場所や机上でしか知らない事に対し、実際自分の目で確かめたいという思いがあった。地道にバイトをしてお金を貯めては、夏休みや春休みを利用し10キロ以上ある重いバックパックを背負い旅に出た。


自分の価値観をしまい込む

アジア圏やヨーロッパ圏を含め15カ国以上訪れたが、その中で印象に残っている国の一つはインドである。

インド、ゴアにてムンバイ空港から降りると、そこはまるで映画のワンシーンのようだった。いろんな種類の顔立ちの人々、立ち込める独特なスパイスの香り、クラクションが鳴り止まない道路。同じ国にいるのにカーストの身分制度によって社会が細々と分かれている世界がそこにあった。高級車に乗り綺麗なサリーを着飾っている上流階級の人がいる一方、やせ細った腕に子どもを抱いて物乞いをしている人、学校に行かず観光客に必死でお土産を売ろうとする子ども達。

地球の縮図を思わせるようなインドで、自分の価値観というものさしを一旦仕舞いこみ、別世界の文化や価値観を受け入れようと必死だった。もちろん親切で優しいインド人はたくさんいるが、騙そうとする怪しい人もいる。100%信用できる者は自分自身であるが、だんだんと冷静に相手の心を読みつつ現地の人との交流を楽しめるようになった。ローカルな食堂で本場のカレーに舌鼓を打ち、現地の人と並んで仲良くラッシーを飲んでいる自分の姿がなんだか誇らしかった。

自分の人生を生きる

ベトナム、ホイアンにて。笛売りのおばあちゃん人の出会いは旅のスパイスであり、メインでもある。

いろんな場所に行くたびに様々な生き方をしている人たちと出会う。例えばママチャリで東南アジアを25年間周っているドイツのヒッピーのおじさん、16年間大手企業で働き世界一周旅行のため仕事を辞めてきた韓国人のお姉さん、年金で世界を周っているスイス人のおじいさん。
こんな生き方もあるのかと驚かされると同時に、今まで日本社会で右倣えで同じことをしてきた私にとって生き方の選択肢が広がり、色んな人に会うたびに新鮮だった。一緒になって涙が出るほど大笑いをしたり、ビール片手に何かについて真剣に語りだしたり出来る仲間が世界中にできた。

世界中のいろんな場所に行って改めて気づかされたことは、私は人が好きだということ。
私の注意力不足で携帯電話、カメラ、現金など盗まれたり、散々人に騙されたり負の部分も数え切れないほどあったけれど、それでも懲りずにまた旅に出たいと思う。それはどんなに文化や言葉、価値観が異なっていても、人間の核の部分は同じだと気づいたからだ。みんな愛をもって一生懸命、自分の人生を生きている。こっちが笑顔だと相手も笑顔で返してくれる。困ったら手をさし伸ばしてくれる。言語はあくまでもコミュニケーションの道具であり、「伝えたい」という気持ちがあれば後は何とかなると知った。

これからも続く旅

旅を通して学んだ事は、出会いがあれば必ず別れがあるということだ。

マレーシア、ペナンの夕日最初は相手との距離が近づけば近づくほど別れが辛かった。しかし旅を通して数え切れないほどの多くの人と出会い、別れのハグの回数が増えるたびにふと気づいた。たとえしばらくしたら別れてしまうであろうとお互いが知っていても、一生に一度の出会いで出会った人と真剣に向き合い、その瞬間を精一杯に楽しみ、自分の心にその人の出会いを刻み込み、一生忘れないように大事にすればいいと思うようになった。

学生生活が終わっても私は旅をすることを止めないだろう。なぜなら、まだまだ見るべき風景や出会うべき人々が待っているような気がするからだ。人生は長いようで短い。世界中のことを知るためには、時間がない。これからも今の自分にしか出来ないことを選択し前に進みたいと思う。

(2012年3月)