2022.06.16
北﨑勇帆准教授の論文が「2021年度日本語学会論文賞」に選ばれました。
人文科学コースの北﨑勇帆先生による論文「中世・近世における従属節末の意志形式の生起」が、「2021年度日本語学会論文賞」を受賞しました。本賞は、当該年に刊行された日本語学会の機関誌『日本語の研究』の論文の中から、若手会員を筆頭著者とする傑出した研究論文を顕彰するものです。
本論文は、「走ろう」「食べよう」のような話者の「意志」を表す形式が、従属節にどのように現れるか?という問題を対象として、その時代差を論じたものです。以下、研究の内容を噛み砕いて紹介します。
「何も食べていないので、お腹が空いた」のような文における、「お腹が空いた」の部分を「主節」、「何も食べていないので」のような、主節に対して付属的な役割を持つ節を「従属節」と呼びます。この従属節のうち、逆接の「が」節や因果の「から」節は、話者による「推量」の「う」(「よう」もここにまとめます)と「だろう」を含むことができます。「暑かろう」は、少し古臭い言い方に感じるかもしれませんが、これも「推量」を表す形式です。
・熊谷は{暑かろう/暑いだろう}が、それを誇りに思っているところもあるだろう。
・熊谷は{暑かろう/暑いだろう}から、アイスもよく売れるだろう。
* 熊谷は埼玉県の暑い街
この「う」は一般に話者の「意志」や「推量」を表すものとされますが、同じ「う」であっても、「意志」を表す場合は、「が」「から」節に含むことができません。
・×ラーメンを食べようが、食べすぎないようにしよう。
・×ラーメンを食べようから、お腹をすかせておこう。
このことは現代の日本語話者の感覚からすればいわば「当たり前」のことですので、わざわざ表立って研究対象にされることもありませんでした。しかし、江戸時代以前の文献を読んでいると、このような「意志」として解釈できそうな「う」が、「が」「から」節に含まれる例が存外あることに気が付きます。
・身共がくふたらば代物をやらふが、おのれがものを、おのれとくらふて、身共にだせとはなんと(虎明本狂言集・饅頭[1642写]) ⇒ 私が食べたのならば代金を「払おうが」(??)、お前のものをお前と食って、私に払えとはどういうことだ。
・みんなおめへに、あげやうから、よんでみな 中にやあ、愁れにおもしろいのも有やせう(花街鑑[1822頃刊]・下画像) ⇒ すべて(本を)お前に「あげようから」(??)、読んでみな。
論文ではこのことに注目し、まず、各時代の文献にこうした「従属節内の意志の「う」」の例がどれだけ出てくるかを調査した上で、「江戸時代頃までは一般的だったが、明治時代に入ると衰退してしまったのではないか?」という予測を述べました。
為永春水作『春色梅児誉美』(1832-1833)は明治時代に入ってもよく読まれた作品で、大正時代には当時の口語訳が何度か出版されているのですが、江戸時代の原作と大正時代の口語訳とを比較すると、「話そうが」が動詞終止形の「話すが」に置き換えられていることが分かります。当時の訳者にとってはもはや「話そうが」は古臭い表現になってしまっていたのでしょう。
・丹「マア今にくわしく咄そうがおめへは兎も角も梅次さんにはやく酒でも(春色梅児誉美・二編巻四・画像左)
・『追々と委しく話すが、梅ちやんに早く一杯……』(熊谷為蝶訳・新訳梅ごよみ[1913 刊]・画像中)
・『まあ俺から詳しく話すが、兎も角梅次さんに早く酒でも……』(太田柏露訳・春色梅児誉美[1918 刊]・画像右)
さて、「従属節内の意志の「う」」が衰退したことが分かると、今度は、「こうした変化が起こったのはなぜだろう?」という疑問が浮かんできます。ここでは2つ、①「動詞終止形の機能の変化」と②「「だろう」の発達」をその衰退の理由として考えてみたいと思います。
①動詞終止形の機能の変化
まず、動詞の終止形は、現代語では「明日は雨が降る」のようにしてまだ起こっていない「非現実」の事態をごく普通に表すことができますが、実は平安時代にはこれがあまり活発ではなく、「桂の院といふ所、にはかに造らせたまふ[≒おつくらせになっている]」(源氏・松風)のように、現在進行中の「現実」の事態に大きく偏ります。その頃、「非現実」の領域は主に助動詞「む」(その後、「ん」を経て「う」に)が担っていました。
室町時代以降、動詞の終止形は新たにその「非現実」の領域を表せるようになるのですが、そうなると、それまで使っていた「う」を従属節末でわざわざ使う理由が薄れてしまいます。このことが、「従属節末の意志の「う」」の衰退にも影響を与えたものと考えています。
②「だろう」の発達
江戸時代以降、推量を専用に表す「だろう」が発達することで、「意志」は「う」、「推量」は「だろう」という形式の分担が生まれます(例えば冒頭の例も、特に若い方には「暑かろう」より「暑いだろう」の方がしっくりくるのではないでしょうか)。この「う」と「意志」との結びつきの強まりが、「意志」の「う」が従属節に使えなくなったことの、もう一つの要因です。
少し遠回りになりますが、ここで、「従属節末で使えない」形式のことを考えてみましょう。例えば現代語の場合、聞き手に働きかける「命令」や「疑問」というカテゴリは、従属節末では使うことができず、主節の末尾にしか現れません。
・命令の場合
×餃子を食べろが、僕は食べない。
○餃子を食べろ。僕は食べないけど。
・疑問の場合
×チャーハンを食べるかし、ラーメンも食べるか?
○チャーハンを食べるか?あと、ラーメンも食べるか?
これはよくよく考えると、現代語の「意志」の「う」の現れ方によく似ています。
×お前にあげようから、読んでみな。
○お前にあげよう。だから、読んでみな。
「意志」は、聞き手がいないと成立しない「命令」とは異なり、話者の思考の中で完結します。この点では「推量」と似ており、だからこそ、どちらも同じ「む」や「う」で表せていました。一方で、「これからやりますよ」ということをわざわざ聞き手に対して申し出るという点で、「意志」は「命令」や「疑問」に近い性質をも持ち合わせています。
「う」が「意志」と「推量」の両方を表した時期では、聞き手に働きかける「意志」の「う」が従属節末にあってもそれほど問題はなかったのですが、「う」=「意志」という意識が強まるにつれて、「命令」や「疑問」が従属節末に生起し得ないのと同様に、「ここに「う」(意志)が出てくるのはなんだか変だな」と感じる人が増え、最終的には「意志」の「う」が主節の末尾でしか使えなくなってしまったのではないか?と考えています。
人文科学コースの日本語・日本文学プログラムにある日本語学ゼミでは、このようにして、日本語の諸側面(この研究のケースでは「文法」という側面のうち、複文と「モダリティ」という文法カテゴリにかかわる部分)を、特に歴史的・地理的なデータにもとづいて明らかにすることを主な関心事としており、学生もそういったテーマに精力的に取り組んでいます。
興味を持たれた方は是非、以下の教員紹介のリンクや、オープンキャンパスのページも御覧ください。
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